無敵の法則(8)

【無邪気さ】

大人になって「無邪気さが無くなる」という人は増えていきませんか。

なぜでしょう。

無邪気というのは、相手の反応にとらわれないで「自分の思うがままに行動する」という感じでしょうか。
「相手のことを考えていない」と受け止められることもあり、批判的な意味に使われる場合もあります。

相手の反応が「怒る」という場合に無邪気さが無くなることは理解しやすいのですが、相手が「喜ぶ」ときにも無邪気さがなくなる場合があります。

それは、相手が喜ぶかどうかを考えすぎて自分を否定することがあるからです。

自己否定について少し話をしてみます。

例えばプレゼントを渡す時に、「喜んでくれるかな」と思うのはよくあることです。「相手が喜んで嬉しい」というのは普通ですが、もし喜んでもらえなかったときに、自分を責めてしまうということがあります。

「変なものを選んでしまった。」
「もっと違うものにすればよかった。」
「あまり喜んでもらえなかった。」

こんな風に考えて自分を責めたりしませんか。

そして、
「なぜもっとよく考えなかったのだろう。」
「もっと時間をかけて色々なものを調べればよかった。」
「他のことに忙しく、時間の使い方が良くなかった。」

と更に考えてしまうこともあります。

問題は、相手がプレゼントを気に入らなかったという反応を見たあなたが、いくつもの理由で自分を責めてしまうことです。たいていは、ひとつの理由だけではなくいくつもの要因を考えて、その数だけ自分を責めてしまいます。

「相手に喜んでもらいたかったという自分の気持ち」

これを否定し、結果にフォーカスして自分を責めてしまうと、せっかくのプレゼントも台無しになってしまいます。

あるいは、相手は少し気に入らない様子だったかもしれません。そのときに、品物は気に入らないもにもかかわらず、あなたの気持ちに対して感謝の言葉をかけたとします。

でも、自己否定の強い人は、相手のせっかくの感謝を受け取るよりも、自分が失敗をしてしまったという気持ちにとらわれてしまい、なにもかも台無しな気分になってしまうことがあります。

さらに、相手がすごく喜んで感謝もしてくれているのに、「本当は違うものの方がもっと喜んだかもしれない」と思うことさえあったりします。

自己否定をしない場合には、もし相手がプレゼントを気に入らなくて「受け取らない」という事態になったとしても、

「それは相手が思ったことで、プレゼントは気に入らないが私を否定したということではない。」

という考えになります。

あなたのことを嫌っていたり怒っていたりしていても、プレゼント自体は気に入っている場合もあるかもしれません。そのときはあいては複雑な気持ちになっているかもしれません。

もちろん、相手の感情を修復してあげるのはとても良いことです。ただ、あなたは相手が不機嫌だった場合でも自分自身を否定することはありません。

自分が過去に相手に行ってしまった行為を反省すること、悪かったと思うことは大切なことです。

しかし、それはそのときのあなたがやってしまったことで、そのときの感情だったり、わざとでは無かったり、知らないうちにやってしまったことかもしれません。

相手に申し訳ないと思う気持ちは当然出てくると思います。

そのときに、「こんな自分」と自己否定をするか、あるいは「自分は相手を思いやる気持ちがあって素晴らしい」と自己肯定をするかで、あなたの表情さえ変わってくるでしょう。

あまり相手の感情に注意を向けすぎると無邪気さが失われていくような気がします。なぜ相手に注意を向けてしまうのか、なぜ無邪気になれないのかについては、また別の機会に考えを述べてみたいと思います。

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