「平和ボケ」という言葉があります。
特に「日本人の平和ボケ」という言葉を聞くことがあります。たいていは軍事的な問題、領土的な問題が発生しているときです。
ところで、世の中には「二元性」という言葉があり、どんなものでも違った視点から見ると全然違う意見になることがあります。というか、すべてのものがそうであろうと思います。
例えば、「イス」や「机」といったものから「悪口」や「掃除」といったものまで、良い面と良くない面を挙げることが出来ます。
大学の授業やセミナーなどで行う「ディベート」などで経験された方もいらっしゃると思います。
なぜこのような話をするかというと、
「平和ボケ」
と言われると、「もっと世界情勢を勉強しよう」と思うこともありますし、単純に「日本も軍備を増強しよう」という方向に行く可能性もあると思うからです。
どんなものでも「良い面」と「良くない面」がありますから、軍備の増強についてもそうだと思います。今回はそれについては触れませんが。
「平和ボケ」
という言葉には、どちらかというと「現状は良くない」というニュアンスが含まれているように感じます。
しかし、「平和ボケ」と言われる状況って、幸せな状況ではないでしょうか。
目指すところは「平和ボケ」ではないのでしょうか。
もし、日本人が「平和ボケ」と色々な人から言われるのであれば、それは日本という国が素晴らしい状況であると思います。
武器を放棄して平和を訴えたコスタリカの例もあります。
軍備を持つことだけが平和への道なのかどうか。
軍備を持つということはお互いに緊張を生み出します。
私とあなたが話し合いをする時に、私が拳銃を持っていたらどうでしょう?
逆に、あなたが拳銃を持っていて、私があなたの話を聞いたり、気持ちを理解しようとしたら、どうでしょう。
ただ、どちらかの精神状態がとても緊張していたり、急いで解決しなければいけない状況だと、お互いの立場を譲れない場合もあると思います。
ケースバイケースで、どんなときにも当てはまることではありませんが、戦わないで解決できる方法も考えてみたいものです。
いつも話を聞いてくれて、たまにプレゼントを持ってきてくれたりして、仲間はずれにしないで声をかけてくれる人を、あなただったら大切にするのではないでしょうか。
武器を持って暴れている人は、とても怖くて近寄れません。でも、その本人はたいていは恐怖・不安・おびえ・孤独などの感情を持っていると思います。
武器はなんのためにあるのか?
と考えると、自分自身に恐怖や不安があるために、安心感を求めているものだと思っています。
武器をたくさん揃えている人は「平和ボケ」ではないと思います。常に不安だという印象があります。
もし可能であれば、心に余裕のある人が声をかけてあげられればと思います。
単なる「平和ボケ」で何も感じない人や、「自分は平和だからいいや」という人もいるかもしれません。「平和ボケ」で行動をしない人が責められることもあるかもしれません。
「平和ボケ」といわれる対象の人も色々なパターンがあると思います。
話題を盛り込み過ぎで焦点がボケた内容になってしまいましたが、思うところを少し述べてみました。