無敵の法則(21)

【相手の悪気を許すか】

誰かが、あなたに何か悪いことをしてしまったとき。

「悪気が無いなら許す。」

という反応をしたことがありますか。

逆に、「悪気があった」という場合は、「許せない」という気持ちになりませんか。

悪気が無いと許せる、悪気があると許せない。

これはなぜでしょうか。

もう少し詳しく考えてみると、「悪気がある」というのはどのような状態でしょうか。

これは、悪いことと知っていてやってしまうことだと思います。

それ以外では、たとえば自分では悪いことと実際は思わず、「正義のため」や「相手のため」を思って懲らしめてやることは、他人から見ると「悪気がある」というように見られることもあるかもしれません。

その場合、これぐらいは大丈夫だろう、わかってもらえるだろうという判断だったりするのではないでしょうか。

あるいは、自分が傷ついた仕返しとして「つい」とか「やむをえず」という場合もあるかもしれません。

では、「悪気がある」とはなんでしょうか。

誰かを傷つけたり、何かを壊したりして、誰かの気分を害するときに、それに対して気分が害された人や、その人を心配する人が判断している気がします。

例えば、山で井戸を掘ったとしましょう。そこで水を汲んで飲むことは別に悪いことではありません。しかし、それが誰かの土地だったり、水質を確かめずに誰かに飲ませてしまうと「悪いこと」に分類されます。

善悪とは人間が決めている基準ですので、そうなると思います。

自然の中で何かをしても、それはいいか悪いかは判断されません。

人間の感情が伴うのが「悪気がある」という判断という気がします。

そうすると、「悪気のある行い」は、「そういうことをやってはいけない」という判断基準がそれぞれの人にあると考えられます。

「悪気のない」という行為で誰かを傷つけてしまうことは、ついうっかりやってしまう可能性があるため、「自分もやってしまうかもしれない」と思う人は相手を許すことが多くなりそうなので、判断基準は人それぞれと言えるのではないかと思います。

 

では、相手に悪意があっても悪意がなくても、もし自分に迷惑がかかった場合がどうでしょうか。

この場合、相手はあなたを傷つけてしまったということです。

あなたがまったく気にしていないのに、相手が悪いことをしたと言って謝ってきたことはありませんか。

また逆に、あなたが気にしているのに相手が謝らないときもあると思います。

この判断基準は、あなたが持っています。

あなたのことを大切にしていない、あるいはあなたが何をやっているのかに興味がない、いわゆる「あなたを無視した状態」になっています。

相手に無視されたあなたは、それを「相手に否定された」と感じるとも言えます。

この場合、相手に悪気がなかったと聞いて、少し心が晴れて許せる場合があります。

また、相手に悪気がなかったとしても、大きな被害を受けたときには許せません。それを許すことができるのは、相手があなたをどれだけ傷つけたかを理解したときでしょう。

このようなことから、「悪気があって悪いことをした」という行為には自己中心的な態度を感じ取り、「悪気がなく悪いことをした」という場合には同情に近い気持ちさえ出てくるのではないかと思います。

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