怒ってもいい

画像は先日の散歩のときに撮ったものです。たぶん白鳥だと思います。鴨もいますが、白鳥もたくさん飛んでいます。

さて、「怒ってもいい」という話です。

たまに何か勘違いされるのですが「森さんは怒らないでしょう」とか言われます(笑)

たぶん逆です。いつでも何かあれば怒りますし、ビジネスマンですから会社では常に戦闘モードです。

でも、普段は特に何も無いですし、近くにいる人はみんないい人ですし、生活にも困っていないので怒る必要はありません。怒ろうと思ってもネタがありません。政治や悪人に言いたいことはあるものの、それは文句というよりは「こうした方が幸せだろうに」というような話です。

怒ることを放棄するというのは、人間に与えられた能力を放棄することですからオススメしません。

究極的な状態というのは「怒る必要がない日々」だと思います。

「怒らないと決める」という人もいるかも知れませんが、無理っぽい気がします。

「人を怒ると後でめんどくさいし、自分も嫌な気持ちになるので怒らないという選択肢を採用する」

という風に思います。

他人に迷惑をかけていることをやめない犯罪者に対して、「あの人を懲らしめたらみんなに喜ばれる」「あの人に怒ってもみんなは理解するだろう」というように「人の評価」を考えて動くのもオススメしません。誰も本当の意味で理解できない事が多いですし、一瞬みんなに喜ばれたとしても後で嫌な気分になることがあります。

仕返しをされても誰も助けてくれません。自分の意思で怒ったのであれば諦めがつく場合もあります。

ここ数年、私の場合には「怒る」というのは仕事に関してだけのような気がします。

経験の無い人が私に間違った事を強要するときに、普通に断ったり説明していても聞き入れず、横柄な態度だけだったらまだしも、実際に費用を請求してみたりお金を取って行こうという行為になり、さらにそれを断っても継続するときにはしょうがないので怒ります。怒りたくありません。

基本的に「怒りたくなったらいつでも怒る」と思いますし、「私を怒らせることをした相手がひどい」と思います。

いざとなると怒るということを放棄していないため、我慢がきくような気もします。「怒らないようにしよう」と思うと「怒る」ということに注意が向いてしまって、数日前のブログでも書きましたが「繰り返し思ってしまう」「その思いが継続してしまう」ということで気分が盛り上がって行きます。

「今日はそこまで怒ることもないか」「まあ、あとでなんとかなるか」「自分はツイてるし、今までも解決できたから様子を見よう」と思って他の楽しいことに目を向けたほうが自分の人生の時間を無駄に過ごさずに済みます。

「怒らない」のは自分の波動を下げない、テンションを下げない、つまり楽しくしていると幸運が続くという感じがあるのでそれを妨げるような気がします。

「何をしてもいい」

という状態も楽しいですよね!

今日はここまでで、ここからはまた少し米大統領選挙の話題です。

選挙の不正が最高裁で取り上げられることになったようです。郵送による投票に変更したのが違憲だという事だったかもしれません。もしそうなら、方法は違憲でも投票は有効ということで結果は変わらない気もします。

みんなが期待しているのは軍事政権や非常事態宣言などでは無く、裁判所で前回の選挙を無効と認定してやり直しをするか、不正の州だけ無効とすることだと思います。このルートはあるのでしょうか。

緊急事態宣言が「あるある詐欺」のようになって離脱者が増え、残っているのは宇宙人を信じる人達ばかりという状況のような気もします。

それでも、タイム誌に記事が載るなど「イカサマ選挙」という側面がありますので、この事件の行方は気になります。また、各国の動きも連動していると言われていますので引き続き注目したいと思います。

P.S.色々と書きましたが、本来は人は怒らないものだと思います。相手に自分の感情を伝える手段のひとつだと感じます。

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