よく考えていただければと思うんですが、例えば小学生が
「学校の規則の解釈を変えればできるじゃん!」
と言って良くないことをやろうとしたら、先生はどうしますか??
そうですね、こうなるのではないでしょうか?
「違う解釈をされないように文章を見直す。」
と。
「解釈を変える」
ってなんでしょうか?
「法律の抜け道を作らない」とか、政府はそういうものだったのではないのでしょうか?
「解釈を変えるのではなくて、本文を変えるべきでは?」
って言う人も多いのですが、解釈の変更で進んでしまいそうです。
確かに、アメリカに日本を守ってもらってる(気がする)のに何かあったときに手伝わないというのは日本人の心情としては何かジレンマを感じるかもしれません。
もともと戦争をする気もしないし、誰かを無償で手伝う人が多いですね。まあ、それは日本人だけではないですが。
で、今回はアメリカの手伝いをしているときに攻撃されたら自分を守らなければいけないし、友軍も守りたい、ということなのだと思います。
でも、「親密な関係」ってなんでしょうね??
「国連の活動に参加」っていうなら、まだいいと思うんですが。
で、ここからが本文。(また前置きが長かった)
あくまでもウワサで真偽は不明ですが、ロスチャイルドとかロックフェラーなどの金融資本系による策略が各国で横行していると聞いています。
過去に色々な国で戦争を起こしてきたとも言われています。
もしも自衛隊が海外で攻撃を受けて反撃した場合、それをきっかけに戦争に巻き込まれる可能性があります。もしかすると、それのための種まきなのかもしれません。
「アメリカに協力して武装している」
というだけで攻撃対象になる可能性もあります。今までは「まったく手を出さない」ということで許されていたのに、今度は容赦されなくなる可能性が出たと思います。
つまり、解釈の変更だけで、相手国から見れば攻撃の可能性が見えますから、自衛のための攻撃をされるかもしれません。
もちろん、すべて仮定の話ですが、危険度は増しました。
本当に、日本は世界に平和を発信する国になって欲しいので、できれば武装を解除して欲しい。南米のコスタリカがそうしたように、国民への平和教育、そして近隣諸国への働きかけが重要です。
・武器を持った国で国民が平和になった例はあるのでしょうか?
・戦争をして幸せになった国はあるのでしょうか?
・武器による抑止力は効果的ですか?
それとは逆に、大規模なグループで瞑想をすると犯罪が減り事故も減るという科学的な研究があります。それはネイチャー誌にも掲載されたもので、色々な研究機関で今も研究されています。
グループでの瞑想に限らず、瞑想により個人の幸福が拡大し、個人の満足度も増えれば、お互いに協力し合うようになるはずです。
言葉の通じない他国の人とも、一緒に食事をして歌を歌って楽しく過ごすほうがいいと思いませんか?
何かあれば助け合い、お互いに信頼関係を結ぶ。
そう考えた時に、「まずは武器を持つことから」という発想になるはずは無いと思うんですが・・・。