「疲れた」という言葉に含まれるもの

アイキャッチ画像は朝の散歩中に見かけたものです。「サルスベリ」という木の表面は、ほんとツルツルなんですね。

さて、「疲れた」という言葉についてです。

相撲では「疲れた」と言わずに「力が入った」と言うのを聞いたことがあります。

この「疲れた」と口に出すことは色々な事があると思います。

まず初めに、それを聞いた周囲の人のパワーを下げる場合があります。つられてしまうということもありますし、「自分もそうかな?」とそこに注意を向けてしまうことになり、場合によっては自分の中の疲労を探して見つけてしまうこともあるかもしれません。

お腹が空いていないのに、ケーキを見ると急に自分の空腹に気づくのに似ているかもしれません。

自分が疲れていることに気づけば休むことも出来るし、無理をしなくて住むので悪いことではないとも思いますが、みんなで何かをやろうとしているときにそう発言する人がいると全体のモチベーションが下がる場合があるのでやめて欲しいと思う人もいる可能性があります。(←けっこう慎重な言い回し)

次に、「疲れた」と思うのは「自分のやりたい事をやっていない」という場合かもしれません。やりたいことをやるとパワーが持続します。楽しい気持ちは身体を元気にします。しかし、やりたくない事を続けていると身体の拒否反応なのか、疲れます(笑)

なんとか気持ちをごまかして「これは実は自分のやりたいことなんだ」「将来の役に立つかもしれない」「誰かの役に立つかもしれない」「収入につながるので我慢」などのよけいな努力もあるかも知れません。違う方向に考えるエネルギーもまた疲れを増幅させているかもしれません。自分のやりたくないことをやるときには「誰かの役に立つ」「○○さんが喜ぶ」と思う方がいいですね。それはパワーを維持できると思います。

あるいは、自分のやりたいこと、たとえば1日中スキーをしたり、オートバイに乗ったり、山に登ったり、と活動をしていれば当然疲れます。大抵は身体は疲れていても心は疲れていないので「疲れた」と言う人も少ない気がします。「身体が限界」とか「明日は筋肉痛かなあ」と笑顔で言いそうです。

それを聞いている人も、特に嫌な感じはしません。

言葉だけを見ると「疲れた」というのは同じですが、それを口に出すときの波動というか気持ちというか、何かそういう雰囲気は伝わると思います。

私はジョギングしながらYouTubeの音声や英語のレッスンを聞いたりしますが、否定的な感じの話や不安な話を聞きながらだと走る元気がなんだか出ません。不思議ですよね、人間って。

さて、最近はアメリカの大統領選挙について話をしていました。今日も少しだけ追加しておきます。

今まで、他のウェブサイトへのリンクはほぼ無かったと思います。リンク切れになるのが嫌だったので。でも、今日は貼っておきます。

この動画がたぶんトランプウォッチャーのみんなが期待している中心の話だと思います。どなたかが動画から文章を起こしてくださいました。

簡単に言うとアメリカ大統領選挙は表面の一部で、その後ろにいる人達を倒すのが今回の動きという感じです。もし2月中に何か動きがあったときには、少しトイレットペーパーや食料を買っておいた良さそうだという話もあります。信じるかどうかはそれぞれですが、私は可能性を否定出来ません。

https://yuukoku.jp/posts/2128

ちなみに、このサイトの中では出てきていない話題ですが量子コンピュータのAIがすべてを計画しているという人もいます。しかし、もしそうだとしたら、わざわざ「おとり捜査」や「悪人のあぶり出し」という作業は不要なのでその説はないだろうな、と思っています。前にも言いましたが、コンピュータはルールに沿った事しか出来ませんので人間よりも知能が上に行くことは出来ないと思います。もちろん、記憶力や計算能力は人間をはるかに上回ります。道具としては最高ですね。

 

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