選挙のとき、「市長の給与を減らします」という公約をかかげる立候補者がいます。選挙でなくても、突然減らす市長もいます。
私には、人気を上げるパフォーマンスにしか見えません。(>_<)
市長の給与を、例えば1000万円減らしたところで経済効果はほとんど期待できません。
ここで少し分けて考えておく必要があるのですが、私は政治家や市長は「無償で働くべきだ」と思っています。収入は個人からの献金でまかなうというのが理想です。
しかし、市長の給与を減らすという話には反対です。
まったく正反対のことを言っているので混乱するかもしれません。
「市長は、何のために給与を減らすのか?」という、その行動の基になっている根本的な動機が問題です。
多くの人は、「自分よりも多く給与をもらっている役人は許せない」という感情があるのではないでしょうか?
また、「節約」「出費を抑える」という話も非常にわかりやすいものです。
結局、経済効果が期待できないのに給与を下げるというのは、「人気取り」以外の理由が思いつきません。
経済効果を期待できないと私が思うのは、金額が少なすぎるからです。数億円規模でやらなければ、市民に生活の向上の実感は無いと思います。
公務員の人数削減の話もありますが、今、お金をバンバン使うことができるのは政府ぐらいなので、そこを削減することには賛成していません。(財源はどうするんだ、という声もありますが、それはまた別に機会に。)
逆に公務員の数を増やすことによって雇用問題を解決すべきだと思います。
「遊んでいる人にお金を払う」「無駄な税金」という声もあると思いますが、そこの問題と経済活性化の問題が別物であることがポイントです。
街にお金が回っていません。
↓
お金を回すには、誰かが使わなければいけません。
↓
それができるのは政府だけです。
という理屈です。
「遊んでいる公務員にお金を払うなら人数を減らして、その浮いた分を減税しろ」
という声もあると思いますが、経済効果からいうと
「遊んでいる公務員もいるが、さらに公務員を増やして、そしてもっと減税しろ」
ということになります。
ハローワークで失業者にお金を払っていますが、労働人口が減るだけです。ハローワークには一時雇用して欲しいと思います。
何か仕事を作って、その労働対価として支払うべきなのですが、たぶんそれで赤字が出るビジネスだと「税金の無駄遣い」と言われるのを恐れているのかもしれません。
それが行き過ぎると共産国になってしまいますが、考え方としては労働して収入ということが望ましいと思っています。(健康が良くないなどの理由で働けない人は、保障という別の話です。)
普通は、自分の給与よりも多くもらっている人が、自分よりも労働時間が少なかったり楽をしていることに腹が立ちます。
公共事業の談合とか、天下りとか、その手の問題も、ポイントはそこにあるのではないでしょうか。
ただ、そこに注意を向けてしまうと「節約」の論調になってしまい、政府が大規模な財政出動をやりにくくなってしまいます。
優先順位としては、公務員の仕事の内容を考えることよりも、政府がお金をどんどん使うことが先だと思っています。
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