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コールド・リーディング

mori (2012年9月13日 17:53)

コールド・リーディングという言葉を初めて聞いたのはずいぶん前のことなので覚えていません。

占い師などが相手のことを色々と当てることができる手法として、けっこうビックリした記憶があります。

まあ、どちらかというと手法にビックリしたというよりも、そういうものがテクニックとして正式な名称があるということにビックリしたような感じだったと思います。

「家族のことで心配がありますか?」

と聞いて、「はい。」と答えたら「そうでしょう。」と答え、「いいえ。」の場合は「そうでしょう。」と言うか、軽くスルーして次の質問をするようです。

「最近、何かいいことがありましたか?」

のような曖昧な質問をすることも多いと聞いています。コールドの他にもホットやウォームなどの種類があるようです。飲み物みたいですね。

コールド・リーディングを積極的に行うと、占いだけでなく人間関係や仕事にも使えそうですが、何かを言い当てる人ってちょっと変な人ですね。

占いは血液型とか星占いとか色々とありますが、けっこう曖昧な感じにも思っています。私も占いをやってもらいますが、それについてはまた今度にします。

オージャス

mori (2012年8月 6日 19:53)

「オージャス」とは、インドのアーユルヴェーダという伝承医学の中で出てくる言葉です。

インターネットで検索すると色々と出てくると思いますが、「生命の源」とか「活力源」という感じでいいと思います。

きのうは栃木祭りで外にいて、けっこう太陽を浴びて肌が焼けました。

日サロとかよりも強力なものを感じました。

太陽を浴びすぎるとオージャスが減るらしいので、みなさんも気をつけましょう。

体内にオージャスが増えると、肌はツヤツヤ、声も良くなり元気もバッチリです。

食事としては、美味しいごはん、ギーと呼ばれる無塩バター、牛乳などはいいですね。

行動としては、やはり「良くないと思うことはやらない。」「楽しく過ごす」などもあります。

瞑想もとてもオージャス的です。

アーユルヴェーダも、けっこう有名になってきているようなので、どこかで聞くこともあると思います。

ちなみに、瞑想の体験が無いと、アーユルヴェーダの知識も本当の理解はちょっとしにくいだろうと思っています。

例えばキノコ・ファミリーは神経に作用するので瞑想者は食べない方が良いと言われていますが、自分で瞑想をすることで理解できます。瞑想の体験が違ってきます。

本来、アーユルヴェーダは知識を得てやってみると自分で納得できるものです。

そして、他のヴェーダとの関連の中で知識が活かされます。

まあ、それはともかく、夏バテのような方がいらっしゃいましたら、ぜひ「オージャス」に注意を向けてみてくださいね。

ディビッド・リンチ財団は、瞑想に関するビデオを多く作っています。

さすが、映画監督だけあって映像が綺麗です。たぶん、照明などの使い方もうまいのだろうと思います。

アメリカの学校や刑務所の映像を観たりしていましたが、アフリカの人々にも取材をしています。

瞑想は、世界130ケ国以上に広がっています。

目的は、能力開発だったり疲れを取ることだったりしますが、みなさん、「ストレスが取れる」「ストレスに強くなる」という感想を持つようです。

宗教のように「何かを信じなくてはいけない」ということもなく、また、自分の宗教を変えることなく瞑想を続けることができます。

今回のビデオは、内容はけっこう重いと思います。

人種や信仰に関係なく、世界に平和をもたらすためには、このような映像による紹介はとても有意義だと思います。

少しずつでも、今出来ることからやっていきたいと思います。

自然の法則

mori (2012年7月30日 18:09)

先日、農業に詳しい友人と話をしました。

ここ2年ぐらいは気候がおかしくて、5月の台風で作物の被害があったそうですが、初めてのことだと言っていました。

うちの家庭菜園の話もしてけっこうアドバイスもしてもらいましたが、種を植える時期というのが決まっていて、そこで植えないと良い物が育たないということも聞きました。

ただ、それもここ2年ぐらいはおかしいそうです。

トウモロコシは、収穫は2日間だけで、その見極め方も聞きましたが全然覚えていません。やはり農家のプロはさすがです。

普段は自然と触れ合うことも無いのですが、ほんとに色々と不思議です。

「自然界には知性がある。」

と聞いていますが、その通りだと思います。

なんとなく、豊作の神様とか、水の神様とか、そういう神様って、それぞれの自然の法則を表したものかな、という気がします。

日本の神様って、すごく多いですが、今まであまり興味がありませんでした。

でも、最近は浴衣を着てとても良い気分で過ごしているので、昔からの日本の信仰についても興味が出ています。

たぶん、少しだけですが気持ちにゆとりが出てきたせいかな、という感じですが、最近はとても爽やかでいい感じが続いています。

怒りや悲しみを超えて

mori (2012年7月25日 12:30)

きのうの話は、怒りや不安についてでした。

ところで、この手の話では忘れてはいけないものがあるのを忘れていました。(^^;)

バガヴァッド・ギーターです。

バガヴァッド・ギーター

バガヴァッド・ギーターは、昔にあった実話だと言われています。

戦場での戦いの場面で、悟りを開いたクリシュナが王子アルジュナに「この世の秘密」を話している、とても興味深い物語です。

戦場に布陣している両軍は、ともに親戚同士です。

そこに助けに入ったのは、クリシュナとその軍隊です。

クリシュナを選ぶか、その軍隊を選ぶかということで、相手はクリシュナの軍隊を選んだためにアルジュナ軍にはクリシュナがひとりでやってきます。

もしかしたら設定が微妙に違うかもしれませんが、だいたいこんな感じです。

そこで、アルジュナは

「親族を殺すことはできない。罪を犯してしまう。」

と言って戦意を喪失してしまいます。

きのう、私は怒りや不安は本来は自分に属さないものだというような話をしました。(したつもりでした。)

では、親族が自分を殺しに来た場合には、どうすれば良いのでしょうか?

しかも、自分ひとりではなく自分の仲間がまるごと狙われています。

戦場ですから、早くしないと敵が来ます。

興味深いのは、ここでのアルジュナに対するクリシュナの話を敵の大将も聞いていることです。

そんなこんなで、戦いの合図を告げるホラ貝が一斉に鳴り響きます。ついに戦いが始まるのです!

どんなストーリーが待っているのでしょうか?アルジュナはどうなるのでしょうか??

という内容のバガヴァッド・ギーターは、壮大なストーリーの中の一部分です。そして、「悟りとは何か」についての核心部分です。

バガヴァッド・ギーターも解釈が難しいと言われてきました。しかし、瞑想で体験する「永遠の静寂とエネルギーの場」から考えることでとてもスムーズに理解できて納得できて超面白いものとなっています。

ぜひ、バガヴァッド・ギーターの解説本を読まれることをオススメします。

と、言いたいところですが、すでに絶版になっています。中古で探してみてくださいね。

不安と怒り

mori (2012年7月24日 10:19)

不安や怒りは、自分自身も嫌な気分になりますし、対人関係にもよくありません。

結論を早く出そうと急いだり、どうしようもない気持ちから他人に辛く当たってしまうことってあると思います。

その不安や怒りって何なんでしょう?

たまに、不安や怒りとうまく付き合う方法を解説している人がいます。また、それらを冷静に分析することで気持ちが落ち着くという方法を提案する人もいます。

でも、怒っているときって、そういうのも全部ふっとんでしまうと思いませんか?

例えば、自分と仲の良い人を傷つけようとしている人に腹が立ったときに自分の感情を分析しますか?

そういう場合は腹が立っても仕方が無いとすると、あなたを傷つけようとするように見える相手全部にも拡大解釈していつも怒り続けることになりませんか?

と、一応は問題提起してみました。

ちょっと考えてみたいのですが、例えば宝くじで3億円当たったとしましょう。

それを投資してみます。今ならブラジルのファンドで年率10%ぐらいのものがあります。不動産投資で良い物件があれば15%ぐらいというウワサも聞きます。

そんな感じで全額を投資します。年間で利息収入が3,000万円入ってきます。だいたいの人は、とりあえずは働かなくても食べていけると思います。

そんな状況で自分の大好きな場所に行きます。ディズニーランド、温泉、ハワイ、どこでもいいです。

自分のくつろげる場所でゆったりしているときって、特に腹もたっていないし不安も無いと思います。

そんな優雅な時間を過ごしているときに、1本の電話が!

「すみません、宝くじの件は手違いでした。全額返却していただけますか?」

と言われます。

不安と怒りが一気に来ませんか??

そう考えると、不安や怒りというのは、自分で自分をそうさせているものだという分析ができます。そして、それはコントロールは不可能のようです。

ここから先はちょっと難しいかもしれませんが、私の経験を話します。

まず、肉食やお酒は、身体の奥深い所で何かイライラします。それが感情を刺激します。

それが無い状況だと、外部からの要因と感情がすぐに結びつきにくくなります。

それと、やはり瞑想ですね。言葉の無いところ、心の奥深くに自分の土台を作ると、言葉や思考によって作り出された不安や怒りの無い場所を経験するので、もうちょっと落ち着いて反応できます。

不安や怒りは、

「このままだと、どーなっちゃうんだろう?」

という気持ちの現われです。それをどうにかしようとするよりかは、「どのようになってもなんとかなる」という存在に自分自身がなっていた方が気が楽です。

こればっかりは、それを体験するしかありません。体験が心を落ち着かせます。

変な例えですが、何か事件が起こったときにスーパーマンが必ずやってきてくれるという経験を繰り返すと、なんだか安心感を持って生活できるようになっていきますよね。

実際の生活ではスーパーマンは来ませんが、気分的にはそんな感じに近いかもしれません。

多少は落ち着いて物事に対処できるようになると思います。

何かを思い込んだり分析しようとするよりも、安心できる体験をする方が手っ取り早いし確実です。

わかりにくい話かもしれませんが、私が瞑想を勧める理由のひとつです。(^.^)

宗教と瞑想

mori (2012年7月23日 18:17)

私は毎日の瞑想が習慣になっています。

剣道や武道などで最初に行う瞑想や座禅などは、それほど宗教っぽく感じないようですが、「瞑想を毎日やっている。」という表現だと、なんだか宗教っぽく受け止められます。

それはそれで別にいいのですが、ちょっとだけ違和感を覚えるときがあります。

瞑想にも色々と種類があって、ろうそくを見つめたり、何かを考えたりとか、その手段が異なります。

ちなみに、何か宗教で教えがあったり、何か道徳的な制約を言われたりすることもあるかもしれませんが、瞑想中は「言葉の無いところ」、つまり意識の源まで行くので、言葉でどんな指示を受けたとしてもそれは外側の世界であって、瞑想中は完全に自分自身の世界になります。

宗教をやりながら瞑想をしている人は、「自分のやっている宗教の意味がわかった」とか「理解が深まった」という感想を持つことが多いようですが、それはたぶんどの宗教も同じ所から出発しているのだと思っています。

つまり、「すべての源」です。

瞑想は、そこを直接体験することができる「手段」です。

宗教は、それを解説することと、そこへたどり着くことで幸福になるというメッセージ、そして世の中の法則について教えながら、人を成就へと導くものだと思っています。

瞑想自体は宗教ではなく、ベーシックな行動で、それをベースにして自分の快適な生活をするときに宗教を選択するというイメージを持っています。

ですから、本来は宗教同士で争うこともなく、宗教を恐れることもなく、どんな教えかを興味深く聞いてみても良いものだと思います。

しかし、すべての源にたどり着く手段がなくて理論だけで動いている宗教の場合には、土台の無い建物のようにガッチリとした感じがないような印象があります。

私はあまりよく宗教のことはわかりませんが、「幸せになりたい」と思う心はみんな一緒ですね。

宗教に関しては、かなりややこしくて難しい問題が横たわっていると思いますが、瞑想を取り入れることで違う宗教同士がわかりあえる日がくるかもしれません。

達人

mori (2012年7月20日 18:37)

達人と言われる人、例えば武道家でもオリンピック選手でも、芸術家でも科学者でも、そういう人たちは「言葉で無いところで行動している。」という気がします。

武道などでは、相手の動作や対応について言葉でいちいち考えていたら遅くなります。

「瞬時の判断」

というのは「言葉でないところで考えて行動している。」と思います。

「身体だけで反応して、脳で考えていない。」

という表現をする人もいますが、たぶん脳では何かを考えていると思います。(^_^)

何かをするときに、「言葉の無い状態」で行動をするというのは、自覚は無いかもしれませんがけっこうあることだと思います。ビックリして身体が反応するのもそうかもしれません。

たぶん、頭で考えてアレコレと動作をするよりも、瞬間的に言葉の無い所で行動するほうが良い結果になるのではないかと思ったりします。

もちろん、経験を積むからこそ、あれやこれやと考えずに行動することができて、それが「達人」と言われる領域なのだろうと思います。

「言葉にならないものを大切にする」

というのは、瞑想をやっていると感じるものですが、けっこうたくさんの人が経験しているものだと思います。

瞑想をやっていると「宗教」と言われることもありますが、瞑想は宗教ではなく心を扱う技術です。

宗教の中には、瞑想に似たような技術を使う団体もあると思います。

ただ、瞑想自体は「言葉の無い状態」に行く技術なので、言葉で何かをやったりルールを守ったり誰かのことを思い続けるというものでもないと思います。

まあ、なんにしても何かこう、スカッとする領域ではないでしょうか?(^^♪

 

般若心経

mori (2012年6月14日 17:26)

きのうは、自民党の下村博文(しもむら はくぶん)先生の博友会が第100回の記念ということで出席させていただきました。

下村先生は、教育について「今のインプットのみの形は良くない」とおっしゃっています。教育改革を進めていただくことを期待しています。

今回の国会の消費増税については、まだ見通しは不明とのこと。そして尖閣諸島に実際に行ってきたことについてもお話されました。

さて、そのお話の中で般若心経(はんにゃしんぎょう)について少し触れられていました。私も昔、般若心経の写経をやったことがあります。

文字を書くと手が痛くなるので1枚書いて富士山に登ったような達成感がありますが、あれを毎日書いている人もいるようですね。

もうだいぶ前のことなので、すっかり忘れていた般若心経にちょっと興味が出たので調べてみると、元々はインドの仏教なのですね。

インターネットで訳を見てみると、「バガヴァッド・ギーター」の話とかなり似ていると感じたのもインド発祥のものであれば、うなずけます。

まだきちんと読んで理解はしていませんので、ちょっと勉強してみようと思います。

でも、「空」についての解説であって、「空」を体験する手段の話では無いので、2つのうちの1つ、左右が対になっているもののひとつ、理論と実践の理論編という、片側だけというようなイメージを持ちました。

「そこへ到達する方法」

それが失われると、宗教も形だけになってしまうと聞いています。

逆に、その方法があれば、「すべての宗教は同じだ」という理解になるとも聞いています。

「真我」

についての話も、なんだか日本の人たちって、けっこう理解しているような気がします。ただ、それを解説したり日常にどう活かすかについての話は難しいかもしれません。

色々なものに感謝する日本人の良さについても、改めて考えてみたいと思います。

ジョージ・ルーカスといえば、「スター・ウォーズ」ですね。

そのジョージ・ルーカス教育財団が運営するエドゥトピア(edutopia)」が、サンフランシスコで瞑想を取り入れた中学校のレポートビデオを制作されたので紹介します。

「静寂の時間プログラム」

というのは、朝と夕方に全員で一緒に過ごす時間です。

瞑想を学んだ人は瞑想をして、他の人は静かにしているという時間だそうです。

教育の問題は色々とあると思いますが、生徒が自分の内側から変わることで、環境も変化していくようです。

外側で起こっていることと、自分の内側との区別がつくと落ち着きが出てくると思います。

良い子供達が育つといいですね。

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