私が、
「誰も悪くない」
という基準を採用したのは、もうずいぶん前のことです。
人間関係で悩んだり、色々と大変だったときに、
「誰も悪くない」
ということをベースに考えてみることにしました。
AさんがBさんを傷つけたとしましょう。
普通は、
「Aさんが悪い」
で終わってしまいます。
それはそれでいいのですが、大抵の物事はそこで終わりません。っていうか、そこで終わると双方が傷ついて終わることがあり、場合によってはトラウマにさえなることもあります。
どういうことかというと、
「AさんがBさんを傷つけたのは、そもそもBさんが悪いという事実がある」
とか
「AさんがBさんを傷つけたが、それをAさんがとても反省し落ち込んでいる」
などなど、感情面で納得いかない場面が多くあります。
そうです。理論面と感情面で折り合いが付かない場面ってけっこうあるんです。
そのとき、
「誰も悪くない」
ということを不変のものとして考えてみましょう。「光の速度は一定」というような基準です。
そうすると、
「Aさんはなぜそんなことをしてしまったのだろう?」
「Bさんはなぜそんなことをされてしまったのだろう?」
というような疑問が出てきます。この、
「疑問が出てくる」
という状況が、詳細な分析を行うきっかけとなり、事実関係をハッキリさせることがあるとともに、
「結果として感情的に誰も傷つかない」
ということが起こる可能性があります。
これは、自分が傷つけられたときにも、相手は悪くないと思うことによって、
「しょうがなかったんだね」
と思うことができます。これは、「あきらめる」という消極的なことではなく、「許してあげる」という積極的な考えだと思います。
どちらがいいとかいう話では無いのですが、
「誰も悪くない」
という考えは、自分や他人の感情を救う考え方だと思います。
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