たぶん、宗教と瞑想の話は今後、けっこう出てくると思います。わかりませんけど。私が1番興味ある話題です。次に興味があるのが世界平和とマクロ経済学、で、その次が健康、その次が車という感じだと思います。今日は今から「萌え博」に行きますけど。(笑)
さて、私が「瞑想をやっています。」というと、だいたいの人達が「宗教」と思うようです。そして、なんとなく勧誘されるのをいやがるか、何か変なこだわりがあるように感じることもあるようです。
気にしない人は気にしませんし、たまに「もっと話を聞きたい」という人もいますし、中には色々と話をしたあと、「めいしんやっているんですね?」とかいう「瞑想という言葉自体全然知らない人」もいます。
まあ、それはそれでいいんですけど、瞑想をする宗教というと、仏教系になるのでしょうか?瞑想を中心とした宗教については全然知りません。
そして、宗教のイメージというと、
「排他的」
「お金をとられる」
「抜けられない」
「道徳観のおしつけ」
「教祖様がまるもうけ」
のような感じで、良いイメージはまったくありません。本来の宗教は人を良い方向に導くものだと思うので、逆に「今は宗教は存在しない」と言いたいぐらいで、宗教法人の優遇税制は廃止していただきたいぐらいです。
さて、宗教に関して私がずっと抱いていた疑問についての話があります。
私が好きな本の「超越瞑想と悟り」の前書きなんですが、
「世俗に無関心であることを基にした生命!これはインド哲学の完全な歪曲です。この誤解のために、悟りへの道は破壊され、「真理」を求める人たちがみな迷い続けてきたのです。人々はゴールを見出す可能性すら奪われてしまいました。
中略
聖職者というのは、人々が神意識を得て、それを基盤にした正しい行動ができるように助けるべきなのですが、その反対に、正しい行動それ自体が浄化の方法であり、さらには神意識を得るための方法である、と説き始めたのです。
中略
本当のところ、ヨーガの実践はサマーディから始められるべきなのですが、ヤーマ、ニヤーマといった道徳的な行為から始めていくべきだ、と理解されるようになったのです。」
というような文章があります。
つまり、
「良い行いをすることが人生のゴールへ人を導くというのは誤解であり、瞑想という方法を行うことによりゴールへ到達し、そのときには良い行いをするようになる」
ということです。現在の宗教は、まさしくこの逆のような感じです。先日私が「ありがたい話」という話題をとりあげたのも同じ趣旨になります。
「宗教をやったら幸せになる」と考えている人はどのくらいいるのでしょうか。異宗教の人たちの戦争を見ても宗教について「何か変だ」と思う人がいると思います。
海外では宗教に入っていない人は変な目で見られると聞きました。無宗教のような日本人は異質な感じのようですね。
ちなみに、私の学んだ瞑想法は世界120カ国以上で行われていて、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、神道など様々な宗教の人たちが実践しています。
私が聞いた話ですと、瞑想をすることによって自分が学んでいる宗教への理解が深まるという話です。
今回の話で言いたかったことは、宗教を否定することではなく、宗教に足りないと思っている部分の話です。
これについては、私の理解が浅いところがあると思いますので、現時点で思うところをブログにしてみました。
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