ポジティブ・シンキングという言葉があります。
私も、何かあると「できる」という表現に直して使うようにしています。そうすると自分自身のやる気も出ますし、周囲に対しても良い雰囲気を作るものだと思います。
ただ、テクニックとして「それは大丈夫だよ。」と言ってみたり、「信じていれば大丈夫。」などと言いつつ行動に移さない人を見ると、「言葉は大事」という気持ちもあるのですが、「言葉だけだとうまくいかない。」と思ったりします。
「外側は内側に依存する」という話を先日しましたが、外側だけでポジティブ・シンキングをやっていてもあまり意味がないと思っています。
その辺について書かれた本があるので引用してみます。
「超越瞑想入門」 マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著
読売新聞社 発行 マハリシ総合研究所 監訳
超越瞑想は、京セラで有名な稲盛和夫さんを始め、多くの方々が薦めているものです。引用文の中に「存在」という単語が出てきますが、詳細は本の中で詳細に解説されています。ただ、やはり「存在」といのは、実際に体験するのが1番良いのですが・・・。
---------------------------------------ここから引用です。
積極的な思考の力が、自然界で最も大きな力であると信じるようになった人たちもいます。
彼らは、積極的な考え方を人生の根本にせよと、教えられています。しかし、思考のレベルに自分の人生の基礎を置くのは愚かなことです。思考は決して人生の深い基盤にはなりえません。「存在」が本来の基盤となるべきです。
積極的な考え方をして、その積極的な想念が実現化するのを待って時間を浪費するよりも、「存在」することのほうがどれだけよいかわかりません。
超越瞑想の実践によって実現する「存在」の状態は、全能の自然の力の可能性を日常の実際生活にもたらすことによって、人生に最大の地位を与えます。ところが、考えることは想像にしかすぎません。
思考を強力にするには、「存在」しなければならない、ということをもっと先の章(「考える技術」192ページ)で論じるつもりです。「存在」の状態を達成する技術は、想念を強化する技術でもあるのです。
積極的な想念は消極的な想念よりはよいのですが、もし私たちが積極的な思考の上に人生を築くならば、それはただ想像に基くだけのことになります。積極的な考えは、否定的な思考と比較したら価値がありますが、「存在」の力と比較したらほとんど価値がありません。
思考を基盤にして自然の力を得ようと努めることは、自分を欺くことになります。いま、誰かが「自分は王である」と考え始めたとします。自分が王であるという感じがするまで、その考えで自分自身を欺くことができるかもしれませんが、王であるというその感じは、実際に王であるという状態からは程遠いものです。
---------------------------------------引用ここまで。
ポジティブ・シンキングは、思考の操作であるために表面的なものです。内側からの直観力や先見性、行動力は考え方を変える努力によってなんとかなるものでは無く、むしろ内側を強くすることで楽に自然に行動に出てくるものだと思います。
一生懸命ポジティブ・シンキングを試みてもうまく行かない人、長続きしない人は、内側を強くする技術を学ぶことによって行動が成就を結ぶようになると思います。
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