どのように表現すればよいか不明ですが、「集合意識」という言葉があります。
人々が集まったときに、その人達の行動を決めているものを指す言葉だと思います。
10人集まって海に行くか山に行くかを決めるとき、もちろんですが構成メンバーによって答えが変わります。
サーフィンが好きな人達の集まりと、山登りが好きな人達、それぞれの集まりでは結果も違うと思いますし、サーフィンが好きなグループでも、しばらく海に行っていないグループと、海に行き過ぎて飽きてきているグループでも結論は違ってきそうです。
あるグループに関して、「全員に共通」とまでいかなくても、そのグループの中の過半数の人に共通しているものを「集合意識」と呼んでもよさそうです。
私は、マイノリティ(少数派)と言われることが多いのですが、10人ぐらいだったら話合いで相手に理解してもうことによって多数派になれることもけっこうあると思っています。
で、ここからが本題です。
日本の国の首相は、日本の国民の集合意識の現れです。今の政府は迷走していますが、国民の迷いから生じていると思っています。
私は消費税を含む増税よりも、財政出動が先だと思っています。しかし、「財源が無い」という言葉が通用してしまうということは、国民の多くの人達が国の財源に関する知識を持っていないのだろうと予測されます。
今でもギリシャと日本が同じ危機だと言う人もいます。「国の借金」の内容についてTVや学校などで教えてもらえなければしょうがないですけど。
結局、首相が交代しても国民の知識不足がある限り進展は望めないと思います。
日本国民は、他の国への移住は考えていませんので、トップの行動は国民の多数決で決まります。
これを会社やサークルなどの単位で考えてみると、所属している人達はトップが嫌なら他のグループへ移動することが可能です。もちろん、簡単なことではないですけど。
メンバーの構成員が移動可能な組織の場合は、トップが多数決に関係なく決定していくことができます。
私は、「持っている情報が同じであれば、同じ結論になる。」と思いますので、トップが方向性を決めたら、グループ内の教育をしていくことも大事です。トップとして、やりやすかったり、やりにくかったりというのはその組織の「集合意識」の影響を受けるためですね。
誰もトップについてこれなくなっても、どんどん人を入れることで組織が出来上がっていきます。国家の場合は、国民がトップについていけない場合にはトップが交代します。
国と家庭の財政の仕組みもまったく違うように、総理大臣とグループのトップは、まったく違うものだと思っています。
ちなみに、国は赤字でも政府通貨の発行をすることができるので、インフレにならなければ財源は調達可能です。家庭は借金をするしかありません。
で、話をまとめてみますと、国と比べると会社やサークルなどのトップの在り方は違いますが、いずれにせよ、その集団の考え方が反映されているということですね。
「集合意識」という考え方は、最初聞いたときは不思議な感じでしたが、今は納得しています。(^_^)
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