普通に話をしているときに「ごかん」と言うと、パソコン関係の人も車関係の人も「互換」と思うかもしれません。「互換性」というのは大事ですね。
さて、それはともかく「五感」というのを改めて確認すると、「視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚」ですね。
これらは言うまでもなく「センサー」の役割です。危険を察知したり、自分にとって有益なものを判断するためにあります。
「五感」は生命の維持に役に立つものです。ですから、本来は五感を研ぎ澄ませれば常に健康でいられるものと思います。
しかし、「悟り」という分野の話になると、「五感」は邪魔者扱いされる印象があります。
それは、
「必要以上に五感の刺激を楽しんでしまう。」
という部分に問題があるのだと思います。
五感のうちの一つか二つの刺激を楽しんでいる間に他の五感が活用されなくなったりしてバランスを崩したり、本来やらなければいけないことを放って置いて五感を楽しむことに夢中になったりして「望む結果が得られない」という危機感から来る話ではないかと思います。(他にも色々ありそうですが。)
そこで、
「瞑想する」
ということですべての五感を落ち着かせ、それが定着すると「悟り」と言われる状態になるという希望的な考えがあります。
しかし、五感の本来の役割は「センサー」ですから、それを鈍くするということは論理的に矛盾します。
五感は「常に最高に鋭敏な状態」を維持する必要があります。
常に外に向かって自分の意思と関係なく働いている五感を制御をすることは難しく、そのため、「荒れ狂う五感」と表現されることもあります。
たまに、このブログでも紹介させていただいている「超越瞑想と悟り」という本の中では、
「五感は心が創造世界の多様性の栄光を楽しめるようにする道具」
という扱いです。
そして、それを制御したいという人のための解説があります。
普段はあまり五感について考えないかもしれませんが、なかなか興味深いポイントだと思います。
五感、、、、、
そうですね、何かの出来事をきっかけに一部だけが研ぎ澄まされのの五感ですね
その内人間の感覚も、退化しちゃうのかな~・・・・・
>mxii BO$$さん
やはり使っていないと退化してしまいそうな気がします。(^^)