「多くの人が、」という文章が目に付くのは、どちらかというと宣伝文です。
あるいは、何かを教えるときの文章です。
「多くの人たちが困っています。」
「多くの人たちが間違っています。」
「多くの人たちが採用している方法です。」
という感じで、つい「ああ、そうか。」と思ってしまいがちですが、実際は非常にアバウトな発言です。
そもそも、「多い」とか「少ない」というのは個人の感情の表現です。
「紅茶に砂糖を大さじ10杯入れる」
という段階では事実であって、それを「多い」か「少ない」かを決めるのは個人差があります。
それこそ、
「紅茶に砂糖を大さじ10杯入れるのは入れ過ぎだと多くの人が思うでしょう。」
と言われると納得しそうですが、少し考えた方がいいかな、と思ったりします。
一応、この文章は「引っ掛け」で、紅茶がカップ1杯なのか100リットルあるのかを書いていません。
まずは正確な事実を伝える文章と、それについて誰がどう思ったのかを何処で何をやっている人に聞いたのかも知りたいところです。
講演会などでも、「多くの人が、」ともっともらしく自分の感覚で話をする人がいます。もちろん、このブログでも検索すると出てくる単語だと思います。(^_^;)
「多くの人が」というのはとても抽象的な言葉で、しかもそれを使用するときの意図としては「みんなもそう思っているんだから」というプチ権威的なイメージがあります。 あるいは、正確な数字が無いので適当に言ってるだけのような軽い感じでしょうか。
「みんながやっている」と聞くと自分もやってみようと思う場合が多いですよね。(多くの人が思います?)
小学生や中学生が「みんな持ってるから買って」と親にねだったり、親が子に「みんなやってるから」と説教のように言うのも同じような感じです。
「多くの人が、」と言う場合は正確なデータが無く、それを話している人の感覚的なものだという風に考えて話を聞くと客観的な判断に近くなる気がします。
「多くの人が」に似た言葉で
「ほとんどの人が」
というのがあります。この場合は、感覚的には90%以上のイメージですが、実態を調べてみても50%以上は見込める気がします。
「多くの人が」というのはインチキっぽい感じがしますが、「ほとんどの人が」というのはなんだか信じてしまいます。
言い方を変えてみます。
「多くの人が信じてしまいます。」
「ほとんどの人が信じてしまいます。」
まあ、どちらも同じように聞こえますが、「多くの人が」というのは若干イカサマっぽくないですか~?
この辺は個人差もありますからなんとも言えませんが、講演会や何かの売り込みのときに注意して聞いてみると面白いと思います。(^_^)
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