「価値」という言葉は、「価」と「値」という文字で構成されています。(あたりまえっ!)
「価」はお金の値段とか、大事なものとか、残しておきたい物などですね。
「値」は大小や強弱などを比べることができるように数値として表現したものです。
したがって、「価値」というのは、「大事なものの度合い」ですから、「価値が大きい」「価値が低い」というように比較できる表現が可能になっています。
「価値」というのは、人によって様々なのは小さい子供でも理解できますね。
ケーキが大好きな子と、甘いものが好きではない子では、ケーキに対する評価は違います。
「お金」は10円、100円という絶対値で扱われますが、価値に関してはお金持ちとそうではない人で変わってきます。(外国為替やインフレなどの相対的な変化は特に考慮していません。)
「お金を持っているかどうか」
で、その人を判断するというのは、その人の能力の判断基準でわかりやすいからだと思います。
たくさんの人を楽しませることができる人、たくさんの人に感謝されている人、たくさんの人の役にたっている人は、それなりに収入を得ることができます。
1日で1万円分の楽しみを他人に与えることができる人は、月給は約30万円です。
それは、何か歌を歌って感動させることかもしれません。
それは、芸を披露して楽しませることかもしれません。
それは、人を大笑いさせることかもしれません。
それは、美味しい物を提供することかもしれません。
それは、入手困難なものを手に入れてくれることかもしれません。
誰かを楽しませてお金を入手し、食べ物を調達してくれる人にお礼にお金をあげることで経済の社会ができてくると思います。
「お金持ちはすばらしい」
と思うのは、それだけの能力がある人だという風に考えることができるからです。親からの遺産だとしても、その人の価値に含まれます。
しかし、「お金」に価値を置き過ぎると、「他人を喜ばせることが価値になる」というのを忘れて「お金の残高に価値がある」となってしまうことがあるかもしれません。
私は瞑想をしていますが、その先生に教えた大先生は、
「超越的な価値を貯めなさい」
とおっしゃっていたそうです。
これは、毎日の瞑想で得られるものです。それは、自分の脳力を高めたり、自然との調和力を高めたり、至福感を強くするトータル的な価値だと思います。
15年前ぐらいにそれを聞いたときには、あまりピンとこなかったのですが、今は「お金」に価値を置くよりも「超越的な価値」を大切にする方が賢い選択ではないかと思うようになっています。
うまく説明できませんが、また長~い時間が経過したら、これについてまた話をしてみる機会もあるかもしれません。
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