選挙でもなんでも、「自分はこういう行動を取る」と宣言することがありますよね。
公約は、自分の考えを多くの人に知らせるために行うもので、「公の約束」ということは個人的な希望ではなく、大勢の人との約束事です。
「公約を破る」
という表現は、どちらかというと約束をした人ではなく、された人の感情が入った表現だと思います。
「公約を破る」というのは、だいたい5通りでしょうか。
1.最初から嘘だった。
2.途中で自分の考えが間違っていたことに気づいて修正した。
3.どうしても達成できないという判断で途中であきらめた。
4.なんとなく放置した。
5.自分が役職にある間に頑張ったが実現できなかった。
いずれも、「公約を破る」と表現されますが、内容はちょっと異なります。5番の場合には「公約を破る」という表現を使うのはライバル側でしょうか?
1は最悪で、2は私は良いと思いますがよっぽど真剣に取り組まないと単なる「うそつき」ですね。
3は周囲の人に説明をしないと次回はありません。
4はそもそも公約をする資格はないですねー。
「公約を破る」
という表現は、もちろん自分では言いません。「◯◯なので達成できなかった」という言い訳をしてごまかそうとします。
なぜか、会社の部下は厳しく処分されたりするのに政治家や社長は大丈夫だったりします。これは世界中でそんな感じなのでしょうか??
日本の場合、マニュフェスト政治と言われることも多くなってきましたが、党の方針がマニュフェストに書かれていなかったりして、どちらかというと「票を集めるための作文」となっているイメージがあります。
まあ、それはともかく、マニュフェストについて選挙の後で修正した個人や団体は信用を失うのが普通なのですが、なんとなく許してしまう人も多い気がします。
マニュフェストを修正するときには、当然ですがこれまでの経緯となぜ修正することにしたのか、そして修正後にどのような行動をするのか、そしてそれはいつまでに達成する見通しなのかは1セットで説明するべきですね。
厳密に言えば修正するときには再び選挙をする必要があります。法律ではどうなっているか不明ですが、普通に考えれば誰でもそう思う気がします。
選挙になるにしても、マニュフェストの修正についての説明は自分の信用をなくさないためであって、それを発表できない人は今後はのんびりと自宅でお茶でも飲んでゆっくりしていただければと思います。
どんなものでも、途中で修正は必要だと思います。
でもそれは、目標そのものの修正ではなく手段の修正だったり期日の修正だったりします。
「達成できなくてすみません。」
はそれまでの行動で頑張っていたなら許せるとしても、
「マニュフェストが間違っていました。」
という言葉はどうなんでしょう?
「見通しが甘かった。」
っていうのも本来はダメですが、せめて数値で表現するようにしていただきたいですね。
コンピュータの普及で失われつつあるもの、それは「あいまいさ」や「わび」「さび」かもしれませんが、今は何でも数字で表現できそうな勢いです。
そんな中で、昔でも許されないような曖昧な言葉が出ることがあります。
選挙公約はいつの時代も破られることが多かった気がします。
その原因としては、
「今度は大丈夫」
という言葉を聞いて許してしまう善人が多いからなのかもしれません。
確かに、私の周囲の人もみんないい人です。日本は本当にいい国なんですけどねぇ。
いい人で終わらずに、みんなで政治に参加できれば日本はさらに素晴らしい国になると思います。
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