私は何だか色々なことをやってますが、菜食に関してはけっこう心配されます。
ツイッターやメールなのどのメッセージで言われたときには「これはチャレンジです。」なんて言ったりしますが、「無理しない方がいいですよ。」とアドバイスしてくださる方がたまにいます。
菜食に限らず、「チャレンジ」という言葉を使うと「無理してる」と思われることがありますが、どうなんでしょう?
私のチャレンジの意味はそんなに大げさなものではなくて、例えば
新しいテレビ番組を見る
マクドナルドの新メニューを食べてみる
通勤のルートを変える
等々、
今までやったことのないものをやってみる
という感じで、それは楽しいイメージです。
たぶん、誰でもいつでもチャレンジャーだと思います。
「スーパーでいつもより安く売っているものを買ってみる。」
のもチャレンジャーですよね。
おそらく、チャレンジを無理と思う人は、
「やりたくないことをやらされてる。」
というイメージなのかなという気がしますが、いかがでしょうか。
「上司にやらされる」
「他人の目を気にして、イヤだけどやってみる」
そういう環境でのチャレンジも確かにありますね。
小さなチャレンジは失敗しても打撃は少ないですが、大きなチャレンジの失敗は命に関わることもあります。
無理してチャレンジして失敗したときは、最悪な気分になりそうです。
青い色というのも、藍色・紺色・コバルトブルー・スカイブルー、等々の種類がたくさんあるように、チャレンジも内容的には色々な種類があるのかもしれません。
ただ、今までやったことのないことをやって、うまく行ったときには楽しいし、失敗してもその過程で学ぶものも多いですね。そういえば、ランボルギーニ仲間はみんなムチャクチャなチャレンジャーが多いですが、お互いに心配はするけど止めはしないって感じはあります。
「失敗してもなんとかなる。」
っていう気持ちもあると思います。
本来、チャレンジは楽しいものではないでしょうか?
話は戻りますが、私の菜食チャレンジについても、何のために何をやっているのか、普段はあまり説明していないので、そのうちにブログで書いてみようと思います。
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