生活保護の問題がクローズアップされていますね。最近に始まったことではありませんが。
生活保護の問題は、単純に言葉でいうと「人として最低限の保証」ということになるのでしょうけれど、それを実際に行う際には難しくてややこしい問題が多くあるようですね。
また、憲法は保証と同時に「自立」も支援することになっていますが、それもうまく行われていないようです。
「税金が多く投入されている」
というところに目を向けると、単純に支給金額を下げたり、審査を厳しくする案が出てくると思います。
また、現物支給というのも解決に向けた良い案のひとつだと思います。
ただ、この問題で忘れてはいけないのは、
「人は働く義務があるのか?」
という問題ではないかと思ったりします。
つまり、
「働いてお金を稼ぐことが人として当たり前」
という話。
確かに、当たり前のようですが、これは本当でしょうか??
生活保護を受けている人が「働かないでお金をもらっている」ということも心情的に不快に思う人もいます。
それはたぶん、自分自身が嫌な思いをしながらも生活のために必死に働き、好きなことをあきらめたり、自分の時間がないことから出てくる気持ちでもあると思います。
生活保護の人、そして失業中の人も、
「働くところが無い」
「働くことができない」
と、ちょっと後ろめたいような気持ちと共に過ごしているのではないでしょうか。
けっして、「生活保護バンザイ」と心の底から喜んでいるとも思えません。
やはり、「周囲の人と同じ」というのが1番安心することですから、元気に仕事をして収入がある状況が1番幸せだと思います。
ただ、この「働く」という表現というか言葉でしょうか、これにひっかかります。
生活保護の人は、働いて収入があると打ち切りになるためにアルバイトもできません。この状況ですと、働きにでるタイミングが難しくなるのではないでしょうか。
それも含めて、
「誰かの役に立つ」
「社会の役に立つ」
というような行動について考えてみたいと思います。
仕事というのは、誰かの役に立って、その見返りで収入があります。
「仕事をする」
という表現は、「お金を稼ぐ」という意味で使われることが多く、それは結果だけを示しています。
本来は、
「誰かの役に立つ」
ことが先で、その結果として収入があるはずです。つまり、
「生活保護の人は、自分でできる、誰かの役に立つことを考える」
というような、収入と切り離した思想から出発するのはどうなんでしょうか?
自分のやりたいこと、できることを考えて、まずはそれをやる。
最初は収入が伴わないと思うので、それを政府が支援する。
もしかしたら、今、実際にやっていることかもしれませんが、言葉の表現で
「仕事をしなさい」
よりも
「誰かの役に立てることはありますか?」
の方がいいと思います。
その延長線上に「収入」があるのではないでしょうか。
ところで、自殺をする人が、この10年は毎年3万人を越えていると聞いています。
自殺者の半数は「お金の問題」という話もあります。
お金に意識が行き、人間らしさや助け合いが無くなってきているように感じている人も多いと思います。それは昭和に入ってからが顕著のようなイメージです。
最近では、それさえも気付かずに、毎日がただ過ぎていくような人も増えているような気もしています。
個人のお金の問題、収入の不安を無くすには、政府は積極財政、個人は食べ物や生活において健康に重点を置くことが重要だと思っています。
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