きのうは、自民党の下村博文(しもむら はくぶん)先生の博友会が第100回の記念ということで出席させていただきました。
下村先生は、教育について「今のインプットのみの形は良くない」とおっしゃっています。教育改革を進めていただくことを期待しています。
今回の国会の消費増税については、まだ見通しは不明とのこと。そして尖閣諸島に実際に行ってきたことについてもお話されました。
さて、そのお話の中で般若心経(はんにゃしんぎょう)について少し触れられていました。私も昔、般若心経の写経をやったことがあります。
文字を書くと手が痛くなるので1枚書いて富士山に登ったような達成感がありますが、あれを毎日書いている人もいるようですね。
もうだいぶ前のことなので、すっかり忘れていた般若心経にちょっと興味が出たので調べてみると、元々はインドの仏教なのですね。
インターネットで訳を見てみると、「バガヴァッド・ギーター」の話とかなり似ていると感じたのもインド発祥のものであれば、うなずけます。
まだきちんと読んで理解はしていませんので、ちょっと勉強してみようと思います。
でも、「空」についての解説であって、「空」を体験する手段の話では無いので、2つのうちの1つ、左右が対になっているもののひとつ、理論と実践の理論編という、片側だけというようなイメージを持ちました。
「そこへ到達する方法」
それが失われると、宗教も形だけになってしまうと聞いています。
逆に、その方法があれば、「すべての宗教は同じだ」という理解になるとも聞いています。
「真我」
についての話も、なんだか日本の人たちって、けっこう理解しているような気がします。ただ、それを解説したり日常にどう活かすかについての話は難しいかもしれません。
色々なものに感謝する日本人の良さについても、改めて考えてみたいと思います。
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