昔、池袋のサンシャイン通りを歩いている時に、
「ツイてますか~?」
と声をかけれられた時があります。
そのときは、ちょうど「ツイてないなぁ。」と口から出して言った直後だったのでビックリしました。その後、その人を見ていると、そこを通る人みんなに同様に声をかけていました。
後で、それは何かの宗教のトレーニングのようなものだと友人に聞きましたが、真偽は不明です。
最近、「ツイてない」という言葉は使っていなかったことに気づいて、そんな昔の話を思い出しました。
「ツイてる」とか「ツイてない」というのは、なんだか瞬間的な感想ですね。最近は「今日はツイてなかった。」というような日は無いのですが、そういう日を過ごしてしまったことを自分で認めていないだけかもしれません。(笑)
まあ、それはともかく、何かに一喜一憂しても、生活は変わらずに普通に続いています。
「人間万事塞翁が馬」は、将来は予測できないものとか、一喜一憂してもしょうがないとか、いい風に考えることもできるとか、そんなようなことを伝える話だと思いますが、大人になるにつれて人生経験も増して、そうすると理解もできてくる気がします。
たぶん、小学生の段階だと、何かが起こるとそのことで頭がいっぱいになって先のことを考えられずに感情的になってしまうイメージです。
良くないことが起こって、それ自体は嫌でも、後でどんな良いことに変化するか誰にもわかりません。
私の場合も、何かが起こった時には「うーん。」とか「あーあ。」ぐらいで、それ以上はありません。誰かのせいにすることも無いですね。自分で予防出来なかったかどうかは考えますけど。
良かったことがあると「ラッキー」というのは言います。でも、なんかすぐに忘れてしまいます。(^^)
ご馳走してもらったりプレゼントをもらったり、偶然誰かに会ったような日は「今日は素晴らしい日だなぁ。」と思って幸福感が増します。もしかすると、けっこう良いことが多いので「ツイてない」と感じることが少ないのかもしれません。
でも、「自分はツイてないなぁ。」って考えるのもつまらない人生ですよね。
普通に生活していても色々なことが起こりますので、「何かが起こるのは当たり前」と思うところもあるので、良いことが起こると逆に嬉しいのかもしれません。もしかすると、ドタバタしている人生に慣れてしまっている状況なのかもしれません。(^^)
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