2012年7月アーカイブ

ご無沙汰です。

mori (2012年7月16日 11:56)

先週は、仕事上で原因不明の不良品が発生し、ちょっとそちらに集中していました。再現テストも行い、なんとか原因は突き止めることができました。

ここから更に対策とか色々とありますので、落ち着くまでにはもうちょっと時間がかかりそうです。

まあ、そんな感じでボチボチとブログをやっていきます。明日もあさっても、新規の仕事の打ち合わせがあるのでちょっと忙しいのでアップできるかどうかは不明ですが・・・。

ところで、ここ最近の群馬は、なんだか暑くなっています。

1~3月頃は異様に寒かったんですが、もうあの頃とは全然違います。

去年は海に行けず、プールもホテルの室内プールに20分ぐらいな感じだったので、今年は海で泳ぎたいと思うんですが、まだまだ忙しそうです。

そんな中、着物を引っ張り出してきました。

きのうは浴衣を着て過ごしましたが、かなり快適です。麻と綿の浴衣は涼しいですね。

外は暑いのですが、ちょっと風が吹くと体温が下がる感じがします。腰以外が締め付けられていないのもいい感じです。

昔は、ちゃんと長襦袢も着て足袋も履いていたので、また復活させたいと思っています。足袋が見つかりません。

着物に慣れてしまうと、スーツにネクタイというのが暑くてイヤになってきます。

やはり日本の気候には着物がいいですね。

今年も、この暑い夏を乗り越えましょう。(^.^)

困ったときの対処法

mori (2012年7月18日 09:36)

何に困っているかとか、どんな状況かとか、まあ色々とあると思いますが、私自身が何かに困ったときの対処法を紹介します。

まあ、色々なケースがありますが、ジタバタしてやるだけやっても困っているときには気分転換で遊びに行ってもいいと思います。

また、誰かに助けてもらいたいけど、それもなんだか言いにくいし助けてもらえるとも思えないときには、とりあえずその人に電話をして「何か自分にできることはありませんか?」と聞くのもいいと思います。

自分だけで解決しようとせずに誰かに相談をすることがベストだと思いますが、相談できずに困っているときには、先に誰かを助けてしまうという意味不明のワザです。

なぜ、自分が助けて欲しいときに誰かを助けるかというと、見返りを期待するというのもあるのかもしれませんが、それを行うことでなぜか気持ちが静まります。

他にも悩みを持っている人がいるという安心感を持ったり(それでいいのかは不明。)、自分も誰かの役に立つことができるという喜びによって、自分の不安が減少します。

一番よくないのは、「あとでやろう」と思うことです。

先延ばしをしてもいいことはありません。

関連する事柄をすべて書き出して優先順位をつけて、「今日は何もできない。」という判断があるときには「あとでやろう。」でもいいと思います。

困ったことがあるときには、とにかく行動するのが1番良いと思います。

で、もしも「何をやったらいいのかわからない。」というときは、友人・知人・客先、誰でもいいので優しい言葉をかけたり話を聞いてあげたりしてみましょう。

私は意外にこの方法で気持ちが落ち着きますし、そんなときには「あっと驚く」ような解決方法も見つかります。

けっこう、わくわくしますよ。(^.^)

mori (2012年7月19日 13:31)
いよいよ夏ですね。

うちのあたりは館林市なので最高気温とかで報道されたりしますが、百葉箱の設置場所が高温になりがちなんぢゃないかという疑惑もあるので今度調査をしてみたい気もしますが、無駄な気もします。

去年は結局海に行けなかったので今年こそは海に1回は行きたいと願っています。

ブログに書きたいことはたーーーくさんあるのですが、今日も出先なので簡単にします。

多くの方々に幸がありますように(^^)

達人

mori (2012年7月20日 18:37)

達人と言われる人、例えば武道家でもオリンピック選手でも、芸術家でも科学者でも、そういう人たちは「言葉で無いところで行動している。」という気がします。

武道などでは、相手の動作や対応について言葉でいちいち考えていたら遅くなります。

「瞬時の判断」

というのは「言葉でないところで考えて行動している。」と思います。

「身体だけで反応して、脳で考えていない。」

という表現をする人もいますが、たぶん脳では何かを考えていると思います。(^_^)

何かをするときに、「言葉の無い状態」で行動をするというのは、自覚は無いかもしれませんがけっこうあることだと思います。ビックリして身体が反応するのもそうかもしれません。

たぶん、頭で考えてアレコレと動作をするよりも、瞬間的に言葉の無い所で行動するほうが良い結果になるのではないかと思ったりします。

もちろん、経験を積むからこそ、あれやこれやと考えずに行動することができて、それが「達人」と言われる領域なのだろうと思います。

「言葉にならないものを大切にする」

というのは、瞑想をやっていると感じるものですが、けっこうたくさんの人が経験しているものだと思います。

瞑想をやっていると「宗教」と言われることもありますが、瞑想は宗教ではなく心を扱う技術です。

宗教の中には、瞑想に似たような技術を使う団体もあると思います。

ただ、瞑想自体は「言葉の無い状態」に行く技術なので、言葉で何かをやったりルールを守ったり誰かのことを思い続けるというものでもないと思います。

まあ、なんにしても何かこう、スカッとする領域ではないでしょうか?(^^♪

 

宗教と瞑想

mori (2012年7月23日 18:17)

私は毎日の瞑想が習慣になっています。

剣道や武道などで最初に行う瞑想や座禅などは、それほど宗教っぽく感じないようですが、「瞑想を毎日やっている。」という表現だと、なんだか宗教っぽく受け止められます。

それはそれで別にいいのですが、ちょっとだけ違和感を覚えるときがあります。

瞑想にも色々と種類があって、ろうそくを見つめたり、何かを考えたりとか、その手段が異なります。

ちなみに、何か宗教で教えがあったり、何か道徳的な制約を言われたりすることもあるかもしれませんが、瞑想中は「言葉の無いところ」、つまり意識の源まで行くので、言葉でどんな指示を受けたとしてもそれは外側の世界であって、瞑想中は完全に自分自身の世界になります。

宗教をやりながら瞑想をしている人は、「自分のやっている宗教の意味がわかった」とか「理解が深まった」という感想を持つことが多いようですが、それはたぶんどの宗教も同じ所から出発しているのだと思っています。

つまり、「すべての源」です。

瞑想は、そこを直接体験することができる「手段」です。

宗教は、それを解説することと、そこへたどり着くことで幸福になるというメッセージ、そして世の中の法則について教えながら、人を成就へと導くものだと思っています。

瞑想自体は宗教ではなく、ベーシックな行動で、それをベースにして自分の快適な生活をするときに宗教を選択するというイメージを持っています。

ですから、本来は宗教同士で争うこともなく、宗教を恐れることもなく、どんな教えかを興味深く聞いてみても良いものだと思います。

しかし、すべての源にたどり着く手段がなくて理論だけで動いている宗教の場合には、土台の無い建物のようにガッチリとした感じがないような印象があります。

私はあまりよく宗教のことはわかりませんが、「幸せになりたい」と思う心はみんな一緒ですね。

宗教に関しては、かなりややこしくて難しい問題が横たわっていると思いますが、瞑想を取り入れることで違う宗教同士がわかりあえる日がくるかもしれません。

不安と怒り

mori (2012年7月24日 10:19)

不安や怒りは、自分自身も嫌な気分になりますし、対人関係にもよくありません。

結論を早く出そうと急いだり、どうしようもない気持ちから他人に辛く当たってしまうことってあると思います。

その不安や怒りって何なんでしょう?

たまに、不安や怒りとうまく付き合う方法を解説している人がいます。また、それらを冷静に分析することで気持ちが落ち着くという方法を提案する人もいます。

でも、怒っているときって、そういうのも全部ふっとんでしまうと思いませんか?

例えば、自分と仲の良い人を傷つけようとしている人に腹が立ったときに自分の感情を分析しますか?

そういう場合は腹が立っても仕方が無いとすると、あなたを傷つけようとするように見える相手全部にも拡大解釈していつも怒り続けることになりませんか?

と、一応は問題提起してみました。

ちょっと考えてみたいのですが、例えば宝くじで3億円当たったとしましょう。

それを投資してみます。今ならブラジルのファンドで年率10%ぐらいのものがあります。不動産投資で良い物件があれば15%ぐらいというウワサも聞きます。

そんな感じで全額を投資します。年間で利息収入が3,000万円入ってきます。だいたいの人は、とりあえずは働かなくても食べていけると思います。

そんな状況で自分の大好きな場所に行きます。ディズニーランド、温泉、ハワイ、どこでもいいです。

自分のくつろげる場所でゆったりしているときって、特に腹もたっていないし不安も無いと思います。

そんな優雅な時間を過ごしているときに、1本の電話が!

「すみません、宝くじの件は手違いでした。全額返却していただけますか?」

と言われます。

不安と怒りが一気に来ませんか??

そう考えると、不安や怒りというのは、自分で自分をそうさせているものだという分析ができます。そして、それはコントロールは不可能のようです。

ここから先はちょっと難しいかもしれませんが、私の経験を話します。

まず、肉食やお酒は、身体の奥深い所で何かイライラします。それが感情を刺激します。

それが無い状況だと、外部からの要因と感情がすぐに結びつきにくくなります。

それと、やはり瞑想ですね。言葉の無いところ、心の奥深くに自分の土台を作ると、言葉や思考によって作り出された不安や怒りの無い場所を経験するので、もうちょっと落ち着いて反応できます。

不安や怒りは、

「このままだと、どーなっちゃうんだろう?」

という気持ちの現われです。それをどうにかしようとするよりかは、「どのようになってもなんとかなる」という存在に自分自身がなっていた方が気が楽です。

こればっかりは、それを体験するしかありません。体験が心を落ち着かせます。

変な例えですが、何か事件が起こったときにスーパーマンが必ずやってきてくれるという経験を繰り返すと、なんだか安心感を持って生活できるようになっていきますよね。

実際の生活ではスーパーマンは来ませんが、気分的にはそんな感じに近いかもしれません。

多少は落ち着いて物事に対処できるようになると思います。

何かを思い込んだり分析しようとするよりも、安心できる体験をする方が手っ取り早いし確実です。

わかりにくい話かもしれませんが、私が瞑想を勧める理由のひとつです。(^.^)

怒りや悲しみを超えて

mori (2012年7月25日 12:30)

きのうの話は、怒りや不安についてでした。

ところで、この手の話では忘れてはいけないものがあるのを忘れていました。(^^;)

バガヴァッド・ギーターです。

バガヴァッド・ギーター

バガヴァッド・ギーターは、昔にあった実話だと言われています。

戦場での戦いの場面で、悟りを開いたクリシュナが王子アルジュナに「この世の秘密」を話している、とても興味深い物語です。

戦場に布陣している両軍は、ともに親戚同士です。

そこに助けに入ったのは、クリシュナとその軍隊です。

クリシュナを選ぶか、その軍隊を選ぶかということで、相手はクリシュナの軍隊を選んだためにアルジュナ軍にはクリシュナがひとりでやってきます。

もしかしたら設定が微妙に違うかもしれませんが、だいたいこんな感じです。

そこで、アルジュナは

「親族を殺すことはできない。罪を犯してしまう。」

と言って戦意を喪失してしまいます。

きのう、私は怒りや不安は本来は自分に属さないものだというような話をしました。(したつもりでした。)

では、親族が自分を殺しに来た場合には、どうすれば良いのでしょうか?

しかも、自分ひとりではなく自分の仲間がまるごと狙われています。

戦場ですから、早くしないと敵が来ます。

興味深いのは、ここでのアルジュナに対するクリシュナの話を敵の大将も聞いていることです。

そんなこんなで、戦いの合図を告げるホラ貝が一斉に鳴り響きます。ついに戦いが始まるのです!

どんなストーリーが待っているのでしょうか?アルジュナはどうなるのでしょうか??

という内容のバガヴァッド・ギーターは、壮大なストーリーの中の一部分です。そして、「悟りとは何か」についての核心部分です。

バガヴァッド・ギーターも解釈が難しいと言われてきました。しかし、瞑想で体験する「永遠の静寂とエネルギーの場」から考えることでとてもスムーズに理解できて納得できて超面白いものとなっています。

ぜひ、バガヴァッド・ギーターの解説本を読まれることをオススメします。

と、言いたいところですが、すでに絶版になっています。中古で探してみてくださいね。

着物

mori (2012年7月26日 09:34)

最近、また着物を着始めました。

たぶん、よく着ていたのは10年ぐらい前だと思います。

当時は、古着を買ったりオークションで買ったりしていました。最初は寸法がわからず失敗もしましたが、慣れてくると自分の寸法にピッタリで「超お買い得」な着物も入手できました。

で、最近また着物を着ようと思ったのですが、きっかけは色々あります。

1.英語の勉強を始めて、「日本人は日本人らしく」と思うようになった。

2.インドの瞑想を教えているのですが、和服だとインドかぶれとか宗教とかいう怪しい感じがしない気がする。

3.なんといっても涼しい!

4.「日本人として日本で生活している感」が心地良い。

5.六本木で外国人に目立つ。

6.なんとなく、色々な人が丁寧に接してくれる。

という感じでしょうか。

着物生活でちょっと困る点は、

1.そば屋に入ると逆に「日本かぶれ」と思われそう。江戸っ子には憧れてません。(>_<)

2.羽織を着て正装したとしても、会社には着ていけない。

3.やっぱりちょっと恥ずかしいかも。

4.そでがドアノブに引っかかるときがある。

5.犬にまとわりつかれたとき、ジーンズだと気にならないが着物は汚れる・・・。

というのがあります。

夏の着物に関しては羽織は持っていなかったのでヤフオクで見ていますがなかなか出てこない。誂えるかもしれません。

夏の着物は絽とか紗とか6月7月8月にそれぞれ着るものが違うとか色々と聞いていたのでめんどくさかったのですが、まあそれほど大変でもなさそうです。

麻の襦袢を着たりすれば涼しそうですし、いいですね。

今は家では浴衣を着ていますが、やはり麻が入ったものは気持ちが良くて快適です。

麻100%の作務衣も持っていますが、超涼しいです。

今年は、もうちょっと着物生活を充実させようと思っています。

ロンドンオリンピック

mori (2012年7月27日 19:08)

毎回、オリンピックはなんとなく始まっていつの間にか終わっています。

ニュースで結果は流れるものの、「なるほど。」という感想で終わりです。

「試合」というのは競技の本番の前の時間から注意を向けていないと面白くないんですよね。

どんな人が、どんな試合に出るのかを知っていて、相手の情報なども考えながら「どうなるんだろう??」と思いながら試合を観戦するのが1番盛り上がります。

そのあとでニュースを観た時には、「なるほど。」という感じではなく、その試合のときのことを思い出す感じがしてエキサイティングです。たぶん。

そんなわけで、今年はオリンピックを観ます!(どんな宣言なんだ?)

幸いにも、インターネットで細かく情報が掲載されているので事前情報はバッチリです。しかもとってもわかりやすい形になっているので理解しやすくていいですね。

とりあえず、ロンドンの街並みを見たいのでマラソンはチェックしたいです。オリンピックと言えばマラソンですねーー。

あとは100メートル走、柔道かな。あんまり見るものないですね。(^_^;)

北島選手の水泳はリアルタイムで観たいです。やはり結果に期待できる競技は面白そう。

なでしこサッカーはすでに盛り上がってるので時間があれば見たいかも。

あんまり興味がないのにテレビでやっているとつい見てしまうのは、シンクロナイズドスイミング、ビーチバレー、ウエイトリフティングでしょうか。

卓球は、勝敗は気になるものの見ていてよくわかりません。テレビ解説者によって興味が出たり出なかったりです。

ウェイトリフティングは、あえて見ようとは思いませんが、見ていると力が入ります。すごい競技だと思います。

今年は仕事・仕事・仕事の毎日を少しペースダウンしていますので、テレビを観る時間も作れそうです。(^^)

 

 

自然の法則

mori (2012年7月30日 18:09)

先日、農業に詳しい友人と話をしました。

ここ2年ぐらいは気候がおかしくて、5月の台風で作物の被害があったそうですが、初めてのことだと言っていました。

うちの家庭菜園の話もしてけっこうアドバイスもしてもらいましたが、種を植える時期というのが決まっていて、そこで植えないと良い物が育たないということも聞きました。

ただ、それもここ2年ぐらいはおかしいそうです。

トウモロコシは、収穫は2日間だけで、その見極め方も聞きましたが全然覚えていません。やはり農家のプロはさすがです。

普段は自然と触れ合うことも無いのですが、ほんとに色々と不思議です。

「自然界には知性がある。」

と聞いていますが、その通りだと思います。

なんとなく、豊作の神様とか、水の神様とか、そういう神様って、それぞれの自然の法則を表したものかな、という気がします。

日本の神様って、すごく多いですが、今まであまり興味がありませんでした。

でも、最近は浴衣を着てとても良い気分で過ごしているので、昔からの日本の信仰についても興味が出ています。

たぶん、少しだけですが気持ちにゆとりが出てきたせいかな、という感じですが、最近はとても爽やかでいい感じが続いています。

トレーニング

mori (2012年7月31日 18:44)

ウェイトトレーニングは、もう軽く10年以上やっていますが、やり方はけっこう変更してきました。

家の中で「腕立て伏せ」や「腹筋」をたまにやっていましたが、スポーツジムに通うようになり、インストラクターから指導をしてもらったりしました。そのときに「基礎代謝」などのことを知りました。

しかし、夜に行くと混んでいてマシンが空いていなかったり、シャワーもいっぱいだったりしてちょっと不便に思い、自宅にトレーニングマシンを置くことにしました。そんなに高価ではありませんが、見た目は本格的です。

それはだいたい、1日置きぐらいにやっていました。

たぶん、2~4年ぐらいは続いたと思いますが、あるとき、「インナーマッスル」を中心としたトレーニングを知り、それに切り替えました。

トレーニングマシンは、けっこうキツイのに効果を感じなかったのが理由です。

不要になったマシンは友人にあげました。

それからまた2~3年が経ち、今度はまた別のトレーニング方法にしました。

その理由は、上げ下げを10回やって1セットというやり方もけっこうキツイのと、そのときに知ったトレーニング方法はもっと楽な感じでした。

どちらかというと昔流行ったブルワーカーのアイソメトリック理論のようなものです。ある一定の時間、負荷をかけたままキープするという方法です。

それはまた2~3年でしょうか。

この頃になると、トレーニングは1週間に2回のペースです。

で、最近またトレーニング方法を変えた理由は、「時間の短縮」です。

今までの運動は約1時間でした。けっこう大変です。

しかし、今度のは15~20分です。

ウワサによると、30分以上やると筋肉は育たないらしい・・・。

時間が短いのはいいんですが、それなりに大変です。

ちょっと特殊なやり方なので、単純にダンベルを上げて下げてとは違います。

また、トレーニングの種目によっては「限界まで」というのがあります。(>_<)

ようするに、20分間を登り坂を全力で走っていくような気分です。

確かに時間は短縮されますが、気持ちはついていけるかがナゾです。

基本的に、「息が切れるほど運動すると体力を消耗するので長生きできない。」と言われていますので、ほどほどにしておいた方が良さそうな気もします。

しかも、夏は体力が落ちる時期なので、無理はしないほうが良さそう。

でも、新しいトレーニングはチャレンジしてみたい。

ということで、誰も知りたくないような、そんな報告でした。(^^)

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