「veda」 に関連する記事

大きな問題は小さくして解決する

mori (2011年2月 6日 04:51)

以前、どこかで記事にした気がしますが、「大きな問題は小さくして解決する」ということについてです。

仕事や予定が進まないときや、頼んだことをやってくれない部下がいるときなど、「仕事のとっかかりがわからない」という場合に有効です。

また、解決できそうにない問題を落ち着いて対処していくためにもいいですね。

ポイントは、とにかく「書きだすこと」です。

例えば、

「東京から大阪に行くチケットを手配する」

ということがあるとしましょう。慣れている人には簡単すぎる話で、誰かに頼んでもすぐに出来そうです。

しかし、それをやったことがない人には超難問に感じることと思います。上司が部下にお願いしたときには上司に相談できますが、自分ひとりだと暗礁に乗り上げそうです。また、上司に聞くのを躊躇していて、仕事を頼まれた部下が手付かずという場合もありますね。

基本的な進め方としては、「東京から大阪に行くチケットの手配」に関する内容を全部書き出すことです。

・行く目的と人数の確認。

・時間が短くて料金が高いのは新幹線、安いが時間がかかるのは高速バス。(ヒッチハイク?)

・何月、何日に行くか。

・到着時間が大事か、出発時間が大事か。

・帰りのチケットも必要か?

・途中でどこかに寄るか?

・チケットをどこで買うか?(インターネット、旅行代理店、安売りチケット販売店)

・ついでに、宿泊やお土産の用意なども追加していいかもしれません。

というように、関連するものを思いつく限り全部書き出します。

そして、それぞれの項目について解決していきます。場合によっては、先に優先順位を決めるほうがいいでしょう。

今かかえている実現不可能に見える大きな問題も、小さく分けると解決するために何をすれば良いのかが見えてきますので、悩んでいる部下の相談にのるときにも有効に活用できると思います。

で、ここまでが前フリです。

今日の主題は、インドのヴェーダです。日本語では、「科学」とか「知識」と訳されます。アーユル・ヴェーダは生命に関する知識、スターパティア・ヴェーダは建築学、ガーンダルヴァ・ヴェーダは音楽、というように、相対界のあらゆる問題について解決するための知識があります。

アーユルヴェーダは、たまにこのブログでも書きますが、「体調が良くない」とか「体力が落ちてきた」など自分で問題を感じたときにも、例えば「食事について」や「生活リズムについて」などの色々な項目を分析して部分を修正していきます。

「ヴェーダ」は問題を解決するための知識で、詳細な項目について具体的な解決方法が示されています。

つまり、大きな問題を小さく分けて解決する方法でもあるために、効果を得られやすいのだと思います。

超越的な価値について

mori (2011年2月 4日 09:53)

「価値」という言葉は、「価」と「値」という文字で構成されています。(あたりまえっ!)

「価」はお金の値段とか、大事なものとか、残しておきたい物などですね。

「値」は大小や強弱などを比べることができるように数値として表現したものです。

したがって、「価値」というのは、「大事なものの度合い」ですから、「価値が大きい」「価値が低い」というように比較できる表現が可能になっています。

「価値」というのは、人によって様々なのは小さい子供でも理解できますね。

ケーキが大好きな子と、甘いものが好きではない子では、ケーキに対する評価は違います。

「お金」は10円、100円という絶対値で扱われますが、価値に関してはお金持ちとそうではない人で変わってきます。(外国為替やインフレなどの相対的な変化は特に考慮していません。)

「お金を持っているかどうか」

で、その人を判断するというのは、その人の能力の判断基準でわかりやすいからだと思います。

たくさんの人を楽しませることができる人、たくさんの人に感謝されている人、たくさんの人の役にたっている人は、それなりに収入を得ることができます。

1日で1万円分の楽しみを他人に与えることができる人は、月給は約30万円です。

それは、何か歌を歌って感動させることかもしれません。

それは、芸を披露して楽しませることかもしれません。

それは、人を大笑いさせることかもしれません。

それは、美味しい物を提供することかもしれません。

それは、入手困難なものを手に入れてくれることかもしれません。

誰かを楽しませてお金を入手し、食べ物を調達してくれる人にお礼にお金をあげることで経済の社会ができてくると思います。

「お金持ちはすばらしい」

と思うのは、それだけの能力がある人だという風に考えることができるからです。親からの遺産だとしても、その人の価値に含まれます。

しかし、「お金」に価値を置き過ぎると、「他人を喜ばせることが価値になる」というのを忘れて「お金の残高に価値がある」となってしまうことがあるかもしれません。

私は瞑想をしていますが、その先生に教えた大先生は、

「超越的な価値を貯めなさい」

とおっしゃっていたそうです。

これは、毎日の瞑想で得られるものです。それは、自分の脳力を高めたり、自然との調和力を高めたり、至福感を強くするトータル的な価値だと思います。

15年前ぐらいにそれを聞いたときには、あまりピンとこなかったのですが、今は「お金」に価値を置くよりも「超越的な価値」を大切にする方が賢い選択ではないかと思うようになっています。

うまく説明できませんが、また長~い時間が経過したら、これについてまた話をしてみる機会もあるかもしれません。

今日は、特にやることが無いので久しぶりにのんびりしています。やるべき仕事自体はたくさんあるのですが、重要で急ぎのものは特に無いと思います。一応、やることはいつも全部書き出しているので漏れていなければですけど・・・。

で、こうしてのんびりしているときにじっくりと読みたいのが「超越瞑想と悟り」という本です。と言っても、これから友人が遊びに来るのでのんびりできませんが。(^_^;)

ということで、ちょっと引用してみます。「超越瞑想と悟り」については、こちら。

http://morimasaya.jp/2009/11/post-31.html

では、始めます。

悟りを得た尊主と勇者アルジュナとの会話形式の原書をマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが解説しています。

------------------------------引用ここから

第2章 詩節67

心が、さまよう五感に支配されるとき、その人の理知は五感によって奪い取られてしまう。あたかも、水面の舟が風に運ばれるがごとくに。

(原文:When a man's mind is governed by any of the wandering senses, his intellect is carried away by it as a ship by the wind on water.)

(注:ここからがマハリシの解説)

心が大きな幸福を求めるのは、その本質によります。例えば、心が五感の一つを通して何かの体験を楽しんでいるとしましょう。心はその五感が提供してくれるものを最大限に楽しもうとしますから、その楽しみの過程にすっかり没頭してしまいます。

このように一つのことだけに夢中になってしまうと、心は弁別力を失ってしまいます。弁別することは理知の主要な働きです。五感は人から理知を奪いとってしまう、という尊主の言葉は、このようなことを意味しているのです。

幸福を与えてくれそうなものであればどんなものでも、心は喜んで受け入れます。どの五感の対象であっても、それが幸福を与えてくれそうなものであればどんなものでも、心はそれに占領されてしまいます。

これは心にとって別に不名誉なことではありません。なぜなら、心の本質は楽しむことであるからです。

同じように、五感が心を対象の喜びに引き寄せたとしても、それは五感の不名誉ではありません。五感は心が楽しむことができるように作られた仕組みであり、忠実な召使いのように、心に仕えようと待ちかまえているのです。

舟が風で運び去られるように、五感によって心は創造世界の外側の粗雑な方向、すなわち五感の対象の方向へと完全に運び去られ、集中力を失ってしまいます。なぜなら、拡散する光のように、理知という集中した状態とは反対の方向に進んでいくからです。

次の詩節では、安全のために五感を制御せよという助言が与えられます。

------------------------------引用ここまで

ということで、この次の詩節では五感の制御について述べられています。

ちなみに、五感についての過去記事はこちら。

http://morimasaya.jp/2010/12/post-366.html

なぜこの部分を引用したかというと、今から友人と遊んで、明日はツーリングと、楽しいことがたくさんあるので、「やっぱり人生は楽しまないとね~」っていう感じです。(^^)

心は、常に幸福を求めます。ただし、楽しすぎると疲れる時もあります。どうすれば良いバランスになるのかというと、五感から楽しみを得るのではなく、自我を確立して五感からの喜びを楽しむということです。

もし、あなたが犬ぞりで北極の氷の上を進むとき、5匹の犬がバラバラに走ると進みません。それぞれの犬は可愛いし、それぞれを大切にしたいのですが、すべてを決めるのは主人である「あなた」です。

5匹の中の1匹が、ある方向に行きたいと引っ張り始めたとき、あなたがそれに従うと全部がそちらに行きます。そして、本当に行きたいところに到達できなくなります。

本来の理想は、あなたが目的地に行くために犬に協力を求めることですね。その犬が可愛いからといってついついその犬の言う事を聞いているとうまくいきません。寄り道も楽しいですけど。(*^_^*)

まあ、そんなこんなで、五感を制御すると思うと大変です。それを実現するのは理屈や思い込みではなく、実際に実現可能なテクニックによるもので、私がTM瞑想を勧めるのは、この五感を制する状況を無理なくカンタンに実現することが可能だからです。

初めてこのブログを読んだ人は、「イッちゃってる人」と思うかもしれませんが、まあ、そんな感じで。(^^)

誰も傷つけないで行動する技術

mori (2011年1月11日 17:26)

きのうは渡邉社長の本を紹介しました。その中で「批判されること」は必ずあるということと、その対処方法が具体的に書かれていました。

こちらに非が無くても批判されることはありますね。

行動するときに、批判を恐れずに進みたいところですが、なおかつ「誰も傷つけないで行動する」ということができれば最高ですね!

それについて、「超越瞑想入門」という本から抜粋してみます。(マハリシ マヘーシュ ヨーギー著 読売新聞社 発行)

改行位置は読みやすいように変更しました。

----------------------------------引用ここから

だれをも傷つけないで行動する技術は、

第一に、自分自身にも、周りのあらゆる人々にも利益をもたらす行動を選ぶこと、

第二に、この行動を成し遂げる合法的な方法と手段を採用すること、

にあります。

ある行動の結果が、行動する人と周りの人たちに有益であっても、その行動をするために選んだ手段が非合法であれば、環境に緊張を生み出すでしょう。

有益な行動を選んだら、次に、無害な行動の過程を選ぶことが必要です。

宇宙意識の状態に達しないかぎり、他を傷つけない行動ができるという確信はだれにももてません。

なぜなら、行動が、いつ、宇宙のどのレベルに、どのような影響を及ぼすかという問題は、通常の人間の理知では判断できないからです。

行動の結果はあまりにも複雑で、またあまりにも広範囲に宇宙に広がりますから、一つの行動が被造界に与える害と利益をすべて評価するのは、人間の知性の範囲を超えているのです。

したがって、だれをも害することなく行動する唯一の方法は、知性と意識を絶対の神聖な意識のレベルに高めることです。

行為者がこのレベルに確立されると、いかなる行動を始めたとしても、その行動は自然に進化の増大する流れに乗って進行し、その人自身にも宇宙万物全体にも害を及ぼすことはありません。

----------------------------------引用ここまで

少し難しいかもしれません。それと、宗教的かもしれません。

ただ、行動の指針として「自分のことを優先するのではなく、他人を優先する」という風にできればかなり良いだろうということですね。

それと、頭の中であれこれと考えたり、外からの情報を判断基準にすると間違うことがあるということも言えると思います。

ここのブログで書いたこともありますが、「自分の内側」というものが非常に大切です。

行動は自分の内側からやってくるものに従う方が自然です。

そのためにも、隠されている真の自分の内側というものを発揮できるようにすることが必要になってきます。

「超越瞑想入門」で勧められている「超越瞑想」は、とても簡単に楽しく「純粋意識」と言われるところに到達することができるテクニックです。

性善説と性悪説

mori (2010年12月16日 10:49)

今日もまた、今の時点で感じている事の話です。(^^)

「性善説」と「性悪説」っていうのがありますね?

私はどちらかというと「性善説」かな、と思いますが、「性悪説」も「人間は元々悪い」というよりかは「人間は本来、欲望や欲求が強い」という感じのようです。

つまり「性善説」は生きていく過程の中で、

「良くない行為をしてしまうようになる」

「他人のことをを考えずに自分の欲求を先に満たすことを覚えてしまう」

という人間になってしまうという話で、「性悪説」は成長すると共に

「社会の中で人との関係を良くする事を学んでいく」

という意味だと思います。

私が「性善説と性悪説」を興味深いと思うポイント、まずひとつめは「まったく同じ物を見ているのに、人によって結論が違う」ということです。

一方は「最初から悪い」で、もう一方は「最初は良い」ですね。対象物は同じ「人間」について語られています。

普段も感じますが、友達と何かを食べたり何かを楽しんだりしたあとで感想を話すとまったく違うことがあります。

その人の過去の経験や直感的な好みなどの影響があると思いますが、ほんとに色々な人が色々な意見を持っています。トップリーダーや政治家が批判されることって必ずありますが、それはしょうがないと思うところでもあります。

リーダーは人の意見を聞くのは大事ですが、それに振り回されてはいけないというのも、このあたりが理由だと思います。

「性善説と性悪説」という言葉は、まさに「人の意見はバラバラ」という象徴のようにも聞こえます。(^^)

で、次のポイントですが、「善と悪という2つに分けて考えている」ということです。

以前、「二元性」という記事を書きました。

http://morimasaya.jp/2009/12/post-52.html

読み返してみると、「あいかわらず言葉足らずで適当に書いてるなぁ」と自分でも思いますが、特に補足説明はしないでおきます。

「善」や「悪」は人が判断しているものです。

「元々は善、元々は悪」「人間の本性は悪、善」

という表現を見かけることがありますが、「元々」や「本性」に善や悪はありません。

どちらかというと善や悪の概念は「自分にとって」とか「自分の都合で考えると」という部分が大きい気がします。

「社会にとって」とか「一般的に」という言葉から始まって「こういう人は善」と言っても、その「社会」や「一般的」という定義自体がその人の定義になっています。

変化する相対界では、善に見えたり悪に見えたりとか、同じ人でもその時々で違う感想を持ったり、時間が経つと評価が変わったりします。

変化の無い絶対界はすべてに浸透している普遍のものです。インドのヴェーダでは、まずは自分自身を絶対の場に確立して、そこから行動することが勧められています。

結果的に、すべての人が各個人で快適に過ごすことができれば社会のストレスも無くなり、そうなると「性善説」や「性悪説」という話も意味のないものになると思います。

つまり、「性善説」や「性悪説」という分析をしているのを見ると、「けっこう困った状況にいるのかもしれない。」という判断をしてもいいのかな、という感じです。

インドのヴェーダという膨大な知識の中でも最も大切なポイントは、

 「二元性を離れて在れ」

ということで、それを実現するための技術が「瞑想」ということになります。

五感

mori (2010年12月 1日 09:54)

普通に話をしているときに「ごかん」と言うと、パソコン関係の人も車関係の人も「互換」と思うかもしれません。「互換性」というのは大事ですね。

さて、それはともかく「五感」というのを改めて確認すると、「視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚」ですね。

これらは言うまでもなく「センサー」の役割です。危険を察知したり、自分にとって有益なものを判断するためにあります。

「五感」は生命の維持に役に立つものです。ですから、本来は五感を研ぎ澄ませれば常に健康でいられるものと思います。

しかし、「悟り」という分野の話になると、「五感」は邪魔者扱いされる印象があります。

それは、

「必要以上に五感の刺激を楽しんでしまう。」

という部分に問題があるのだと思います。

五感のうちの一つか二つの刺激を楽しんでいる間に他の五感が活用されなくなったりしてバランスを崩したり、本来やらなければいけないことを放って置いて五感を楽しむことに夢中になったりして「望む結果が得られない」という危機感から来る話ではないかと思います。(他にも色々ありそうですが。)

そこで、

「瞑想する」

ということですべての五感を落ち着かせ、それが定着すると「悟り」と言われる状態になるという希望的な考えがあります。

しかし、五感の本来の役割は「センサー」ですから、それを鈍くするということは論理的に矛盾します。

五感は「常に最高に鋭敏な状態」を維持する必要があります。

常に外に向かって自分の意思と関係なく働いている五感を制御をすることは難しく、そのため、「荒れ狂う五感」と表現されることもあります。

たまに、このブログでも紹介させていただいている「超越瞑想と悟り」という本の中では、

「五感は心が創造世界の多様性の栄光を楽しめるようにする道具」

という扱いです。

そして、それを制御したいという人のための解説があります。

普段はあまり五感について考えないかもしれませんが、なかなか興味深いポイントだと思います。

相対と絶対

mori (2010年11月 4日 09:51)

ランボ2台とベントレーを持っていると、さすがに自分でも「物欲のカタマリ」とか思いますし、他からは「いいですね」「うらやましい」「自分には無理」と言われたりします。

「自分も頑張ります」と言われるのが1番嬉しいのですが、かえって自信をなくす人がいると申し訳なく思います。

自分の思いを実現するには「お金」が必要ですが、「お金」がすべてではありません。自分の人生における「ダルマ」が重要だと言われていますが、長くなりそうなのでまたの機会にするとして、物欲やお金など自分の外側の「常に変化を続ける相対世界」と、瞑想で体験できる「不変の絶対世界」との話をしておこうと思います。

私の人生の参考書、「超越瞑想と悟り」から引用します。

ちなみに、紹介記事はこちら。

http://morimasaya.jp/2009/11/post-31.html

インドの古典バガヴァッド・ギーターの詩節と、それを解説している本です。

---------------------------------ここから引用

詩節44 享楽や権力に深く執着している者たちや、これら(華やかな言葉)に思いがとらわれている者たちの心には、理知の確固とした状態が生じることはない。

相対世界に関する偉大な知識をもっている人たちの中にも、「絶対」に関する英知を兼ね備えている人はいます。文字も読めないような人でさえ、自らの「存在」である絶対の至福を楽しむことができるのですから、学識のある人にできないはずはありません。

この詩節で述べられているのは、世俗的な享楽や権力に対する異議でもありませんし、また、それらを獲得するための方法である、行動に関する『ヴェーダ』の英知に対する異議でもありません。

栄えある『ヴェーダ』の儀式は華やかな言葉で表されていますが、それを聞くことによって心が享楽や権力に夢中になってしまう、ということに対する異議がここで述べられているのです。

常に行動の領域にかかわっている人が、行動、特に行動に関する『ヴェーダ』の方法によれば、どんなことも達成可能であると宣言したとしても、それは驚くべきことではありません。行動に関する『ヴェーダ』の方法は、疑いなく、どんなことをも達成するための直接的な道を提供するからです。

しかし、こういった意見は、確かに生命の相対領域においては正しいのですが、絶対の「存在」とは明らかに関係のないものです。

「実在」の全体は、生命の形に現れた面と、形に現われた面との両方から成り立っています。

ところが、『ヴェーダ』の「カルマ・カーンダ」の英知しかもっていない人たちは、形に現われた領域の中だけで願望を抱いています。行動に関する英知からは、形に現われていない「実在」に関する英知を、直接得ることができないのです。

「絶対」という形に現われていない領域に関する知識が欠けているために、そのような人たちは『ヴェーダ』で述べられている行動の領域を超えたところには何もない、と華やかな言葉で宣言します。(詩節42)

詩節43では、行動の魅力にすっかりとらわれている心が描かれました。心は行動のすばらしさを宣言する華やかな言葉に魅せられ、活発で多様な活動の中に巻き込まれていきます。そのような常に活動的な心は、当然のことながら、確固とした理知の領域の外にとどまってしまいます。

世俗的な喜びと、努力と行動によって進歩しているという感じのために、心は引き続き外側の活動にかかわり続けます。そのような心が、自分から確固とした状態へと集束していくのは容易なことではありません。

なぜなら、活動している心は多様性の場にかかわっているのであり、それは確固たる状態へ集束していく過程とは明らかに反対のことであるからです。

意図をもち、導きが受けられる場合にのみ、たとえ「享楽や権力」のただ中にあったとしても、心は一点集中の状態を得ることができるのです。

次の詩節では、そのような拡散した心を確固とした状態に導く方法の原理が示されます。

---------------------------------引用ここまで

で、次の詩節45へと続きます。ちなみに、この本の中でとても重要なのが詩節45です。

私がTM瞑想を知ったときは貯金も何もゼロの状態で、半年かけてお金をためて学びました。それから毎日朝夕行っていて、だいぶ内側の土台が固まってきた頃から色々なものが良い感じになっていきました。

欲しいものを手に入れても、自分の内側が満たされていないと何も楽しめません。逆に、自分の内側が満たされていると、外側に関係なく楽しむことができます。

内側が満たされてくると活動的になったり効率的になったりして、外側も変わってくるというのが今の段階での私の感想です。

空(くう)とは?

mori (2010年10月13日 11:37)

「瞑想」というと、無の境地とか、空(くう)とか、無限の静寂とかいう言葉が連想されるかもしれません。

瞑想をしようと思う理由のひとつとして、「ちょっと忙しいから静かな時間を持ちたい」とか、「頭の中を落ち着かせたい」とか、「気分をリセットしたい」等々、どちらかというと活動が多すぎるときに少しストップさせたいという人が多いような気がします。

頭の中がゴチャゴチャしていると、無の境地とか空(くう)とかの静寂な感じに心惹かれるものがあるかもしれません。無いかもしれません。(笑)

「無の境地」

については、「何も無い状態」というよりは、「不純物が何も無い状態」だと私は思っています。

何も無い、カラッポの状態ではなく、どちらかというとエネルギーに満ちた場だと思うからです。

物理学で言うところの「無」については、こちらです。

http://morimasaya.jp/2010/08/post-280.html

瞑想をすると、スッキリすると同時に、力が湧いてくるというか、パワーが回復するというか、そんな感じになります。

瞑想を始めたばかりの頃は、かえって今まで感じていなかった疲労が出てきてだるくなったりもしますが、そのまま続けていくと元気になってきます。

瞑想をするわけでもなく、ただ何もせずに座っていても静かな雰囲気というのは楽しむことができます。周囲の草木が風で揺れる音、小鳥のさえずり、水の音など、普段は気付かないものが聞こえてきます。

そのときに、それらの音と対比して自分自身が静寂であると感じると思います。

しかし、それは単に「静かになっている」とか「落ち着いている」という状態であって、「純粋な場にいる」という状況ではありません。

「純粋な場」に行くと、それ自体は意識することはできません。五感や意識で感じることが出来ない「場」です。

しかし、そこから出てくると、心に純粋性が増し、エネルギーが回復します。

ろうそくを見つめる瞑想、言葉を追う瞑想、動的な瞑想など色々とありますが、効果を感じる瞑想を行うことが1番だと思います。

と、いきなり言われてもどうしようもないと思いますが、楽しく活動的に生活するには効果的な休息が必要だと思いますので、ただそれについての話と思っていただいても大丈夫です。(^_^)

エクアドルの無敵軍隊

mori (2010年10月 8日 11:05)

私はTM瞑想(超越瞑想)という瞑想法をやっています。世界中で600万人以上が習った瞑想法で、様々な科学的研究が行われています。

また、アメリカの科学誌ネイチャーで「グループでTM瞑想をすると社会に平和の影響がある。」という研究結果が発表されたことがあります。平和条約や平和協定などの国家間の約束事は平和に関しての科学的効果は認められていませんが、TM瞑想は「世界平和」に関して唯一「効果がある」という結果が出ていると聞いています。

TM瞑想は国家導入されたり、警察や軍隊、教育関係で採用されたりと、世界各地に広がっています。

それで、今回はエクアドルの軍隊に導入されたそうなので、簡単に紹介しておきます。

ちなみに、「無敵」というのは「敵を発生させない」という意味です。

 

以下、引用と抜粋です。

 

エクアドルでは、軍隊に防衛部門を設立し無敵の防衛テクノロジーを導入した。

この部門では、マハリシの超越瞑想とその上級プログラムが毎日大きなグループで実習されている。

image-5.jpg

エクアドルには、4種類の軍隊がある。陸軍、海軍、空軍そして軍事警察である。

エクアドルを無敵にする防衛部門を設立するために、軍事警察部門が選ばれた。人口1450万人のエクアドルでは、必要とされるグループを創るためには、382人(人口の1%平方根)のエキスパートが必要であった。

司令官である将軍は、この構想に大変賛同し、2010年3月8日からプロジェクトを開始するという決定がなされた。

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まずテストケースとして、将軍は、若い兵士達が実戦部隊に配置される前に基本的な軍事トレーニングを6ヶ月間受ける訓練センターから、2つのグループを選んだ。

各々のグループは、300人の兵士からなり超越瞑想が指導された。またその中の200人は無敵防衛テクノロジー(IDT)のエキスパートとなった。

将軍は、兵士たちがグループでプログラムを実践する時間と場所をその職務の日課に合わせて設定した。

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1ヶ月間の実習の後、軍の心理学者達により、プログラムの有効性が調査された。
兵士たちの感想をまとめると以下のようであった。

たいへん実践的な活動だった 96%

完全に満足のいくものだった 95%

ストレスをうまく扱えるようになり、仕事の質が良くなった 92%

人間関係が改善した 96%

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これらのテスト結果に基づき、将軍は二つのことを決定した。

1.超越瞑想とその上級テクニック(無敵防衛テクノロジーの実用面)をエクアドルの無敵性を達成するため直ちに2つのトレーニングユニットに導入する。

2.若い将校が受ける、4年間のナショナルアカデミーの訓練に、プログラムの導入を検討する。

image-1.jpg

将軍は、プログラムに参加する新しい将校を任命した。そして現在339人が無敵防衛テクノロジーのエキスパートになっている。

今年の後半には、さらに400人が加わる予定のため、合わせて739人の無敵防衛テクノロジーのエキスパートがアカデミーにできることとなる。

つまり彼らを、トレーニングセンターの2x200人の無敵テクノロジーエキスパートに加えると、総勢1139人が今年の後半に揃う。

目標は、少なくとも1000人の無敵テクノロジーのエキスパートが規則的にプログラムを行うことだ。

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超越瞑想とその上級プログラムのグループ実習に加えて、4年間のアカデミーの訓練プログラムには、週毎に1時間にも及ぶ、無敵性の理論を学ぶ講義も含まれている。

さらに超越瞑想の教師養成コースが、カリキュラムに組み込まれる予定だ。そうすれば、軍隊で自前のTM教師が持てるため、無敵テクノロジーが継続的に行われ、必要とされるエキスパートの数が常時確保されることとなる。
このプログラムは、すでにアカデミーの19歳から24歳の士官候補生を対象に実施されている。

image-2.jpg

以上です。ちょっと長くなりましたが引用してみました。

コレア・エクアドル共和国大統領は、9月5日(日)~8日(水)まで、日本を公式訪問されました。コレア大統領は、天皇陛下に会見され、菅総理と首脳会談及び昼食会を行っています。

先週は警察官による抗議デモ等で政府が非常事態を宣言する事態になって治安が悪くなっていますが、なぜか昔からTM瞑想を導入すると最初に「ストレス解消」というものが発生します。

今までに蓄積されたストレスが出てくるのでしょうか。そのあとも続けていていると色々なものが良くなってきます。

このブログを読むと怪しさ満点で、宗教的だったりオカルト的だったり電波系のようなイメージもあるかもしれませんが、世界平和や経済の発展などに有効だと思って一生懸命に行動している人たちですので、見逃してくださいませ。

あ、ちなみに、

「もしこれが本当だったらいいと思いませんか?」

というフレーズは、ネットワークビジネスや詐欺商法でよく使われる言葉なので注意しましょう。

気になったら納得いくまで話を聞いて、インターネットで調べて疑問があればどんどん聞きましょう。

それでは、また。(^^)/~

宗教の成就

mori (2010年8月30日 08:35)

自分は瞑想をやっていますし、教えてもいます。

そんなこんなで生活をしていますと、「宗教」という話が出てくることがあります。スピリチュアル系の人と話をすることもあります。私はあまり知識が無いので波に乗れません。(^_^;)

考えてみると、ディアブロに乗っていて「これ何馬力ですか?」と聞かれてもわからないので、車系の人とも会話の波に乗っていません・・・。

まあ、それはともかく、私の瞑想の先生は宗教についてどのように考えているのかをこのブログでも書こうと思いました。

「超越瞑想入門」(読売出版社)を見ますと、「宗教の成就」という項目でたくさん書かれています。

瞑想と宗教の関係がハッキリします。

長すぎるので、部分的に引用したいところですが、誤解を招きそうなので避けようと思います。

そんなこんなで、今日はちょっと宣伝文句っぽく紹介してみます。

だいたい、こんな内容です。

1.宗教の成就とは何か。

2.宗教の目的は一人ひとりの生命がどうなるようにすることか?

3.宗教の実際的な価値とは。

4.今日の宗教の憂うべき状態。現在の宗教は○○○だけになってしまっている。

5.宗教上の儀式の必要性とは。

6.宗教は、恐れを教え込む方法で目的を遂げようとしている?

7.宗教の任務とは?

8.宗教に厳しい修行は必要か?

9.真の生命を有する還元な宗教とは?

10.言葉だけの宗教と、真の宗教の違い。

11.信仰のための信仰は、単にエネルギーの浪費?

12.牧師の責任とは?

13.すべての宗教の精神と瞑想の関係。

14.正しい行動をするための簡単な方法。

15.宗教的な人生とは?

16.宗教と、心の内側を変化させる力の関係。

17.政府は信教の自由を与えつつも○○していく。

18.政府は宗教への助力をするべき。

19.各宗教の教えを実際に生きるようにする方法とは?

20.結論として、あらゆる宗教に成就をもたらすことができる。

ちなみに、「成就」に関しては「生命の成就」「心理学の成就」「哲学の成就」というのもあります。「ジョージが上手に成就した。」という感じですか。違いますね。

普段、親しくない人にあまり口にしないことっていうのは、「宗教」「政治」「ネットワークビジネス」「過去の病気」「年収」とかいう感じでしょうか。

どちらかというと、「他人を幸せにする話題」は無難ですが、それ以上の話は仲良くなってからだと思います。

叩くとビスケットが2倍になるポケットを山ほど持っていたら、親しくない人にでもあげてしまう気がするのですが、他人を幸せにする話題は話しやすいですね。

会話の基本は、「相手が喜ぶ話題」って感じでしょうか。

この記事のタイトルですぐにピンと来た方がいらっしゃるかもしれませんが、「今の宗教は成就していない」という思いが私にはあります。

この件についても、まだまだ世間知らずなので、もっと勉強していきたいと思っています。

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