小さな一歩でも、その後の成長に繋がるという意味で「大きな一歩」と賞賛されて良いと思うので、そのことを書いてみます。
ちなみに、「小さな一歩」=「大きな一歩」という数学的な公式で考えると等号は成り立ちませんね。例えば、「小さな」を数値に置き換えて「50センチ」だった場合には「大きな」も「50センチ」である必要があります。
そういうわけで、「小さな一歩のように感じるけれども、それは大きな一歩です。」と解説しておけば「一歩という言葉だけは共通だが、その一歩は違うものだ。」という感じが伝わるかもしれません。
数学的な解釈を避けるのであれば、「小さな一歩だが、決してそうでは無い。」という表現の方が自然でしょうか。でもインパクトは無いですね。
ちなみに、「五十歩百歩」も、「50歩=100歩」という数学的にイコールを入れるとすると成り立たない言葉になってしまいます。それと、通常は逃げたときを指す言葉ですが、「小さな一歩は大きな一歩」という今回の意味のように反対の解釈に使えます。
つまり、「勇気を出して一歩踏み出したことは、たくさんの勇気ある人と同じだ。」みたいに励ますこともできます。でも、日本語の伝統と歴史がメチャクチャになっていきそうなので、「五十歩百歩」は逃げるとき専門の言葉にしておきましょう。
前置きがすごく長くてどーもすみません。南極には象も住みません。(意味はありません。)
さて、「小さな一歩」を特に感じているのは最近私がトレーニングをやっている「限界まで」の筋肉トレーニングです。なんと筋肉がついてきました!
今まで色々とやってきたのですが、例えば1セットを腕立て伏せ10回として、それを3セット行う。というようなものでした。もちろん、超回復を考慮して2~3日に1回ぐらいでした。普通の腕立て伏せはやりませんけど。
「限界まで」
というのと
「1セット10回を3セット」
というのは、全然違うものだということがわかりました。
「1セット10回を3セット」というのは辛い運動ですが、仮になんとかこなせるものだとします。
そうすると、その筋力を維持することがあっても発達はしません。
イメージ的には、いつもそれをやっていると筋力が自然に発達するものだと思っていました。
でも実際には「限界まで」という行為を行ったときに初めて「次回に備えて筋力をアップしておこう」という身体の働きのために自然治癒力を使って行われるのですね。
筋トレは筋肉組織を壊すものだと聞いています。そして、それが修復されるときに「次回は大丈夫なように、より強いものにパワーアップさせて修復する。」ということになるらしいです。
風邪をひいて免疫力がつくのと似ているのかもしれません。
腕立て伏せが10回が限界の人は、11回目はどうやってもできません。
ですから、10回で終わりにする人がいます。
でも、そこで11回めにチャレンジすることで限界を少し超えようとすることになり、そのときにたぶん更に筋肉が壊れるのだろうと推測されます。(推測されますって言葉はちょっと硬いですが。壊れるんじゃないかなぁ、だとフランクすぎる。)
そして48時間ぐらいの間に超回復が行われて、次に腕立て伏せをするときには11回がギリギリで出来るようになるという感じです。
それを繰り返すことによって筋力はアップしていきます。
つまり、10回の限界を超えた11回めのチャレンジ、それは決して大きな一歩ではないのですけれども、次回に繋がるという意味で自分を成長させる大きな一歩になるわけです。
これは筋トレだけでなく、仕事や勉強、料理、スポーツ、対人関係などなど、様々なところに通用するものだと思います。
ジュースを買う100円を我慢することで、お金を貯めるとかダイエットへの大きな一歩になる感じです。
もちろん、目的意識があって初めて行動に出るので、目的を持ってしっかりと自覚することが、とても大事な「心の第一歩」ですね。
ちなみに、勉強などの成長は階段のようだと思う場合がけっこうあります。ずっと成長していないように思えていたのに、あるとき急に成長を感じるんですね。
これは少しずつでも限界を超えていたのだと思います。毎日コツコツと努力を重ねなければ成長は難しいですね。それを努力というのか趣味というのかは別問題ですが、楽しみながら成長できれば最高ですね。
まあ、なんにしても少しでもいいからチャレンジしてみるというのは、とても良いことだと思います。(^^)