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ポールマッカートニーさんは、元ビートルズのメンバーです。ディヴィット・リンチ監督は、フランス大統領に表彰された、日本でもファンが多い監督です。

2009年4月に、アメリカでTM瞑想のためのチャリティー・コンサートが行われましたが、そのときのインタビューです。リンゴ・スターさんも参加されています。

 

こういう映像はYouTubeにけっこうあるのですが、たまに紹介していこうと思います。リンク先が切れてこのサイトの中にリンク切れが発生するのがいやだったんですが、まあいいでしょう。

ビートルズは、4人でマハリシのところへ行き、しばらくの間一緒に過ごしたそうです。

そのときの歌がLET IT BEだと言われているようです。また、アクロス・ザ・ユニバースという歌はマハリシの先生のグル・デヴ先生を称える歌詞が入っています。

クリント・イーストウッドさんなど、TM瞑想をずっと続けている方々がチャリティー・コンサートなどを応援してくださっています。

私はビートルズ世代なのでポールさんがTM瞑想の話をしていると嬉しいです。(^^)

 

常に喜びの中で生きること

mori (2011年6月12日 08:49)

「常に喜びの中で生きる」

って難しそうですか?

人は何のために生まれてきたのでしょうか?

「1回だけの人生、楽しまないとね。」

という言葉も聞きますが、楽しんで生きるとはどういうことでしょうか?

「喜び」

って何でしょうか?

先日、食事の話を少ししましたが、美味しい物を食べているときって幸せですね。「喜び」や「楽しみ」もあります。

なぜ、美味しい物を食べると幸せなのでしょうか?

それは、

「自分の身体に良い物」

だからだと思います。

「美味しい物は身体に良くない。」

という言葉も聞きますが、それは「美味しい物」の定義が違うために出てきている言葉ですね。「美味しい物は添加物がいっぱい。」とか「美味しい物は砂糖がいっぱい。」とか「美味しいといってお肉ばかり食べてはだめ。」というようなときに使う言葉だと思います。

美味しい物は、本来は身体に良いものです。

疲れたときには、甘いものやすっぱいものを美味しく感じます。朝、眠い時やだるい時には苦いものを美味しく感じます。夏の暑い時には甘くて冷たいものや苦いものが美味しいです。冬の乾燥した時期には、暖かくて油分のあるものを美味しく感じます。

これは何かというと、

「人間は、自分にとって良いものを知るためのセンサーをたくさん持っている」

という理由だと思います。

「心地良い」と感じるものだけを選択すると健康で長生きできます。しかも、それは常に喜びの中で生きていることになります。

現代の情報化社会では、その「人間本来の感覚」が鈍ってしまっているために「喜びの中で生きる」ということが困難なものと感じられてしまっているのではないでしょうか。

吉野家の牛丼は食べますか?私は大好きでよく食べていました。唐辛子を肉が見えなくなるまでかけて、その上にショウガをさらに唐辛子が見えなくなるまで乗せて食べていました。タマゴをかけると他の牛丼と変わらない味になってしまうので厳禁です。食べ方が異常かもしれませんが(^_^;)、美味しかったです。

しゃぶしゃぶやステーキも美味しいですよね。

でも、落ち着いた環境でゆったりと食事をすると、旬の野菜の方が美味しいことに気づきます。そして、そのあとで軽く散歩をするときのスッキリ感、ゆったり感は本当に幸福です。

常に喜びの中で生きるコツは、「本来の自分自身の感覚を敏感にして、自分の感覚を大事にして生きる」ということだと思います。

みんなが美味しいと言って、しかも健康にもいいと言われている食べ物でも、自分に合わない時があります。

食べ物や季節の過ごし方に関しては、インドのアーユルヴェーダと呼ばれる膨大な知識が参考になります。すべての知識に矛盾がありません。1度理解するとすべてが共通の考えに基づいているのでわかりやすくなります。

自分では気づきにくいことも、先人の知識によって快適に過ごすヒントをもらえるところが嬉しいです。

知識は外からやってきます。最近流行っているヨガも外からの行為で自分を整えるものですね。

他にも、様々な知識があり、それらはヴェーダと呼ばれています。建築、音楽などたくさんの知識があります。

そして、内側です。

それは、心よりも内側です。

すべての内側、そこから行動することによって自分自身を発揮することができます。自分にとって必要か不要かの判断ができるようになります。

そこへのマスターキーがTM瞑想です。内側へ戻り、そこから出てくることにより、すべての感覚が

「常に喜びの中で生きること」

のセンサーへとリセットされます。その通りに生きていけば何の問題もなく喜びの中にいることができるでしょう。

TM瞑想を刑務所に導入した動画を紹介しておきます。今回は、例え話に食事のことを出したので食事とどういう関係があるのかと思う人もいるかもしれませんが、食事は一例です。現代社会は人間本来の喜びの生活とズレが生じていると思っています。

そして、外側の知識も大事ですが、内側へのアプローチはもっと大事なものだということも伝えたい事です。

私は、すべての人が喜びの中で生きることができるようにと願っています。

暗闇を照らす技術

mori (2011年6月 8日 09:53)

悩み事、困っていること、恋愛や仕事でうまく行かないこと、人生には色々とありますね。

当然ですが、そんなときには早く解決して楽になりたいと思います。

「悩む」

というのは、頭の中であれこれと考えながら結論が出ない状態です。

「困っている」

のも同様に解決策がわからない状態ですね。

自分ひとりで解決できないときには周囲の人に相談したり、本を読んだりインターネットで解決方法を探したりします。

それでも解決できないときには、あきらめたり我慢したりという選択をするしかありません。

物事を解決するには、たいていは「知識」が役に立ちます。色々な情報を探すのは、そのためですね。

たくさんの知識がある人は、解決能力が高いと思います。また、自分では何も知識が無くても、知識を持っている友人がたくさんいる人は解決能力が高いですね。

集団のトップの人は解決能力が高い方がいいですから、自分でたくさん勉強したり知り合いを増やしたりすることで解決能力が上がっていきます。

ここまでは大丈夫でしょうか。

次は、

「知恵」

です。

これは情報を整理したり、直感力だったり、応用力だったりします。情報はデジタル化できますが知恵はアナログ的だと思います。

ちなみに、デジタルはdigitalで発音記号を見ると「ディジャトゥル」みたいな感じですね。デジタル時計は数字でピタっと出て中間とかアバウトなものはありませんが、アナログは感覚的だったり数値に表せないようなものだという定義だったでしょうか?(って誰に質問してるのか・・・。)

ついでに、「決断力」「判断力」「行動力」なども問題解決に必要な能力だと思います。

タイトルの「暗闇を照らす技術」というのは、私が毎日やっているTM瞑想という瞑想法の説明でよく使われます。

暗い部屋でみんなが集まってあれこれと話しをしています。始めは、どうやって明かりをつけるかという話し合いですが、そのうちにどうやって暗い中で生活していくかという話になります。

そんなときに、パッと電灯がつきます。

ふとみると、「あんたたち、こんな暗いところで何をやってるの?」と電灯のスイッチを入れた掃除のおばちゃんに言われます。(^^)

「第三の解決方法」

と言われることもありますが、TM瞑想を続けることで自分自身の能力が上がると共に、色々な解決能力も高まっていきます。

ある問題に対して、そのレベルでの解決ができないときには、まったく違う手段で解決する必要があったりしますが、その能力の開発にも効果的なのがTM瞑想です。

瞑想はアナログ的なので、非科学的な分野に入るような気がします。

しかし、近年の研究により健康の増進、ストレスの除去、人間関係の改善、能力の向上、幸福感の増大等々、世界中で500件以上の研究結果によりデジタル化されてきています。

あれやこれや悩んでいる暗闇を照らすには、TMテクニックと呼ばれる瞑想法の技術を採用すると良いと思います。

効率化と瞑想

mori (2011年4月18日 10:03)

私はもう15年以上、毎日瞑想をしています。

基本的には朝夕の2回、時間は20分です。

朝夕の20分と聞くと、毎日きちんとやろうとする人は、

「えーー?そんな時間は無いですよー。」

という感じかもしれません。

あるいは「それぐらいの時間なら取れる。」という反応かもしれません。

アメリカの人などは、ジョギングなどの自分の体に良いことやリフレッシュをする時間と考えて積極的にTM瞑想の時間を作る人がいると聞いています。

私は、初めてTM瞑想を学んだ頃は他の瞑想をやったりしていた経験があったので瞑想自体には抵抗は無かったのですが、朝夕20分は、やはり「時間が作れるかな?」という気持ちもありました。

でも、「効果があるなら続けよう」と思い、そのまま100%の継続率で現在に至っています。

今の時代は、テレビやインターネット、映画に雑誌に、美味しいものや旅行、稼ぐことや遊ぶこと、いくら時間があっても足りないぐらいです。寝なくてもいい体が欲しいと思う人もいるかもしれませんし、いつまでも寝て過ごしたいと思う人もいるかもしれません。

私がやっているのはTM瞑想と呼ばれるもので、それについての研究が全世界的に行われています。研究論文は500件以上です。

精神的に安定するとか、健康に良いとか、精神性の向上、人間関係の改善、等々、様々な良い効果があることが科学的に立証されています。

で、そのために朝夕の20分、合計40分を使うことはどうなのか?

40分というと、けっこう色々なことができます。でも、無駄に時間を使っても40分はあっという間だったりもします。

ここでのポイントは、「効率化」だと思います。

私がTM瞑想を続けている理由のひとつに「効率がよくなる」ということがあります。

つまり、朝夕に40分を使うことで効率が増し、1時間以上の時間が空くような感じです。

例えば、A地点に行って帰ってきて、またB地点に行っていたのをAとBを両方いっぺんに行けばいいんだということに気付いたり、欲しいものや情報が自然にやってくる不思議な感じもあります。

他の人から見て、「森さんはああ言ってるけど、手際はよくないよね(笑)」ということもあると思います。(^_^)

それは例えば、カレーの作り方を学んで初めてジャガイモを切ったりニンジンを切ったりして上手くできないことがあったりするとそうですね。でも、続けていくうちに上手くなったり効率よくできるようになったりしていきます。それは誰でもそうなんですけどね。

まあ、そんなわけで私がずっとやっているものに関してはけっこう効率よくスムーズなものが多くあります。整理整頓されている感じがあります。

「なりたい自分になる」とか「達成を早くしたい」という人にオススメする理由のひとつに

「時間を有効活用できるようになる」

ということがあります。(^_^)

生命の輝き

mori (2011年4月17日 09:08)

昔のことですが、

「TM瞑想をずっとやっていると、草木の葉っぱ1枚1枚がはっきりと見えてくる。」

というような話を聞いたことがあります。

それを聞いてから景色を見てみましたが、自分は木は木、草は草という感じで、どのように1枚1枚の葉っぱがよく見えるのかがわかりませんでした。

しかし、特に今のような新緑の季節は、太陽の明るさに新しい葉っぱが輝いて見えます。

寒い冬から暖かくなってきた季節の嬉しい気持ちとも重なります。

写真家は新緑の写真を撮ったり、芸術家は絵や歌や詩を作ったりと、そういう喜びを表現されていますね。

震災で色々なものが壊れてしまった感じですが、自然界が何も止まらずに動いているのを見るとなんとも言えない気持ちになります。

そういう気分で改めて風景を見ると、家やマンション、コンビニ等々の間に草木の生命を感じます。

至る所に生命がありますね。

「葉っぱが1枚1枚」

がはっきり見えるようになるのかという疑問は、どちらかというと車生活な私は走行中に葉っぱが1枚1枚見えるわけがないということに気づきました・・・。

暖かくなったので散歩に行ってみると、確かに葉っぱの1枚1枚から生命の輝きを感じることができます。

そう思うと、お米やパンなどの自然の恵み、そしてそれを作っている人たち、加工している人たち、流通させてくださっている人たち、みんなに感謝を感じつつ、「共に生きて行こう」という気持ちになります。

なんとなく、こういうことを言ってると「もりちゃん、大丈夫?弱くなってない?」とまた心配されそうな気もしますが、どちらかというと嬉しい気分のときですね。

今日は今から家の中の模様替えをやるので気合い入ってますよ!

ダルマ

mori (2011年4月 4日 11:49)

「ダルマ」というと、「達磨(だるま)さん」を思い浮かべるかもしれませんが、今回はちょっと違う話です。古いインドの言葉なので、もしかすると日本に伝わってきたものひとつなのかもしれません。

さて、「ダルマ」というのは、「その人が生まれてきて、今生でなすべき義務」という表現をする人もいます。

震災のあと、「自分は何をすべきなのか?」で迷いが生じることもあると思います。そんなときには参考にしていただければと思います。

そんなわけで、今日も「超越瞑想と悟り」という本からの話です。

過去の紹介記事はこちら。

http://morimasaya.jp/2009/11/post-31.html

バガヴァッド・ギーターの1番最初の詩節に「ダルマ」という言葉が登場していて、マハリシの解説も「ダルマ」から始まります。とても重要な話です。

引用ここから-----------------------------------------------

「ダルマ」とは、自然界の無敵の力であり、存在するものを支えます。それは、進化を維持し、宇宙生命の基盤そのものを形づくります。ダルマは、進化に役立つものすべてを支持し、それに反するものすべてをくじきます。

ダルマとは、世俗的な繁栄と精神的な自由をともに促すものです。生命におけるダルマの役割を理解するためには、進化の仕組みについて考えなければなりません。

引用ここまで-----------------------------------------------

ということで、このあとは生命と進化についての解説がありますが、今日は省略して次にいきます。

引用ここから-----------------------------------------------

第三章 詩節 8

あなたに定められた義務をなせ。行動は実に無行動よりも優れている。行動がなければ、身体の維持さえもできなくなるだろう、

Do your allotted duty.Action is indeed superior to inaction. Even the survival of your body would not be possible without action.

「定められた義務」とは、それをするのがその人にとって当然であり、その人はそのために生まれてきたといえるような行動のことです。

(中略)

定められた義務には、その人の生存と進化を可能にするあらゆる行動が含まれます。そのような行動が正しいとされるのは、次のような理由からです。

すなわち、そのような行動は少しも緊張を伴わず、人生において重荷にならず、生命を支えると同時に進化へと導いてくれるからです。

また、不自然な行動は、行為者にもその周囲の雰囲気にも、必ず緊張を生み出すものである、ということもやはり理解しておくべき大切なことです。

引用ここまで-----------------------------------------------

少し難しいかもしれませんが、今は悲しい事件、辛いことも多くあると思います。それについて何かできることがあれば行った方が良いと思います。

しかし、それに関わることが自分のダルマでは無い場合には、自分や周囲に緊張が生まれるかもしれません。

人として誰かを助けるのは当然ですが、自分が今やるべきことを放棄するのはよくないということですね。

政治家の人は政策を、大工さんは建築を、芸術家は芸術を、それぞれが行っていくことも復興支援になっていくと思います。

最近、PTSD(外傷ストレス)という言葉を聞くようになってきました。私はまだその単語に馴染んでいないので「PS・・、なんだっけ?」というレベルですが、日本語では「トラウマ」と呼ばれるものだと解説する人もいます。

特に今回の東日本大震災では、被災地だけでなく報道関係者や一般の方々の心が痛むことが多く、PTSDとしての話もWEBで見かけるようになってきました。

PTSDについては、去年、退役軍人の心のケアのために映画監督のデヴィッド・リンチ氏が10万ドルを投じて「オペレーション・ウォリアー・ウェルネス」という名称で始めた取り組みがあります。

俳優のクリント・イーストウッド氏、映画監督のジョージ・ルーカス氏、マーティン・スコセッシ氏などもそれを支援しています。

具体的にどんな方法でPTSDを克服するかというと、それは「TM瞑想」と呼ばれる方法です。

瞑想は日本人なら誰でも知っていると思いますが、ただ目を閉じて座っているだけで効果があるのかどうかには疑問を持つ人もいると思います。

TM瞑想は、「瞑想」という名前がついていて、見た目も普通の瞑想ですが、実際に行われていることは普通の瞑想とはまったく違います。

そして、その不思議なテクニックについては世界120カ国以上に広がり、研究報告についても500件以上の論文があります。

マハリシ総合研究所に27日、記事が掲載されましたのでリンクを貼っておきます。

http://www.maharishi.co.jp/news2/post-18.html

現在、PTSDに対するTM瞑想の効果が知られてきているため、震災後の心のケアとしても注目されています。

レインメロディ

mori (2011年3月25日 10:43)

マハリシ・ガーンダルヴァ・ヴェーダというものがあります。ヴェーダは、インドに古くから伝わっている知識体系で、「科学」と翻訳されることもあります。

マハリシ総合研究所の解説から抜粋します。

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[自然の摂理に即した音楽体系]

自然に調和した音とメロディーを奏でることにより、生理や環境に調和をもたらし、純粋意識と呼ばれる静寂の価値を活性化させる。

自然に調和した音楽が個人や環境に良い影響を及ぼすことは広く知られているが、ガーンダルヴァヴェーダは生理や感情のより深いレベルへも影響 を及ぼし、全体的な成長を促す音楽である。

実験によれば、ガーンダルヴァ・ヴェーダを聴いている間、脳波においてシータ波が増すと言われている。

これはTM瞑想中にも見られるように、緊張の緩和と至福感の増大が体験されているこ とを示すものである。

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ということですが、けっこうたくさんの音楽があって、場合によっては07:00~10:00とかの時間帯に聴くと良いなどと細分化されていたりします。

で、今回オススメなのが「レインメロディ」です。こちらから聴くことができます。

http://streaming.mou.org/MOU/songs/gv03rainmelody_track01_135.wma

仕事が大変だったり、不安があったり、ニュースなどで心がざわついたりしたときに聴くとクリアな感じになります。

夏に涼しい場所で聴くのも気持ちいいです。

人だけでなく、環境も浄化されると言われています。誰もいない部屋に流しておくのもいいそうです。今は節電の時期ですから控えた方がいいですけど。

ちなみに、ガーンダルヴァ・ヴェーダの演奏者でインドの人間国宝のチョードリー氏が来日されたときのブログ記事はこちら。

http://morimasaya.jp/2009/12/post-62.html

静かな時間を楽しんで、そして再び活動をしましょう。

行動と結果(2)

mori (2011年3月 1日 08:42)

前回の続きです。とりあえず、(2)で終わりです。(^^)

http://morimasaya.jp/2011/02/post-442.html

 

2-49

【英語の本の原文】

Far away, indeed, from the balanced intellect is the action devoid of greatness, O winner of wealth. Take refuge in the intellect. Pitiful are those who live for the fruits (of action).

【超越瞑想と悟りの本での訳】

偉大さを欠いた行動は、実に、安定した理知からは程遠い、富の征服者よ。理知をよりどころとせよ。憐れむべきは(行動の)成果のために生きる者である。

[マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによる解説]

 

引用ここから-------------------------------------------------

 「安定した理知(ブッディヨーガ)」とは、前の詩節で説明したように、平静を得た心の状態のことです。

(中略)

尊主クリシュナが行動のヨーガについて語ったこの詩節や他の同様の詩節が、過去何世紀にもわたって誤って解釈されてきたことは、不幸なことです。

なぜなら、誤った解釈のために、人々は無執着という名の下に、行動における活力や忍耐を失ってしまったからです。その結果、個人と社会の両方の構造そのものが、怠惰で無気力な弱いものとなってしまいました。

(中略)

尊主は「憐れむべきは、(行動の)成果のために生きる者である」と言っています。自分の行動の結果を期待するような人は哀れな人であるというのです。特にこの表現は、注釈者たちに大きく誤解されてきました。

彼らは、「働きなさい。しかし、その結果をあてにしてはいけません」と人々に助言してきました。しかし、行動は必ず何らかの結果を得るためになされるのであり、はっきりした結果を何も望まないで行動するということはありえないことです。

尊主がここでアルジュナに示そうとしているのは、心のレベルを高める、すなわち、永遠の自由における枠のない意識状態へと心のレベルが高まるようにすることで、行動の価値をも高めるという一つの原則です。

矢を放とうとするときには、まず最初に弓をいっぱいに引き絞ります。もし、あわてていたために十分に弓を引かずに矢を放ったとしたら、目的は達成できないでしょう。矢は的まで届きません。行動は力のないものとなって、行為者も満足できないままにとどまってしまいます。

尊主が言おうとしているのは、行動の成果を得ようと焦るあまり、行動を強力にするための十分な準備をせずに行動し始める人たちは憐れむべきだ、ということです。多くの注釈者が間違って解釈したように、行動の成果を得ようとしたから憐れむべきなのだ、というのではありません。

そうではなく、そのような行動では十分な成果が得られないから憐れむべきなのです。かわいそうなのは、行動から最大限の結果を産み出して、願望を成就させる方法を知らないからです。

彼らがかわいそうなのは、原因に気を配ることなく、結果にばかり気を取られているからです。こうして彼らは、向上の機会とより多くの利益を得る機会をのがしてしまいます。

理知は行動の源であり原因です。だからこそ、尊主は「理知をよりどころとせよ」、「偉大さを欠いた行動は、実に、安定した理知からは程遠い」と言っているのです。

引用ここまで-------------------------------------------------

けっこう長い部分から抜粋しました。本文には、もっと興味深い内容があります。(^^)

文章は難しいかもしれませんが、内容的には前回と同様に「行動によって結果が決まる」ぐらいの単純な感じに思ってもいいかもしれません。普通に考えれば「そうだよね」という内容なのがまた、この本の良いところです。無理やり納得する必要はありません。

結果にばかり気を配る状況というのは、例えば「朝、寝坊して時間に間に合わない」という状況のときもそうですね。

「10分後に家を出る」と決めたら、顔を洗ったり服を着る時間をだいたい頭の中で計算して計画を立てて、それ以降は時計も見ないで行動すれば、たいていは8~9分後ぐらいで出発できるような気もします。

そのときに、時計を何度も見たり、「間に合わなかったらどうしよう」とか余計なことを考えないほうがいいという感じです。

「行動から最大限の結果を得る」というのは、10分を切るような素早い確実な行動をすることで、そのためには健康も大切ですし、頭の中がスッキリしている必要もあると思います。

ヨーガの必要性というのは、日々の活動がスムーズで実りあるものにするためでもあります。

行動と結果(1)

mori (2011年2月27日 10:00)

私が1番好きな本、「超越瞑想と悟り」から引用します。

1回で終わらないので分けます。読売新聞社から発行されていましたが、現在は古本屋でしか入手できません。

インドに古くから伝わる「バガヴァッド・ギーター」は、マハーバーラタという物語の一部で、尊主クリシュナと、王の息子のアルジュナとの会話形式になっています。

2-47

【英語の本の原文】

you have control over action alone, never over its fruits. Live not for the fruits of action, nor attach yourself to inaction.

【超越瞑想と悟りの本での訳】

行動のみを制御すべきであって、決してその結果を制御すべきではない。行動のために生きるべきではなく、また、無活動にとらわれるべきでもない。

 

[マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーによる解説]

 

引用ここから-------------------------------------------------

ここでは実にすばらしい順序で教えが説かれています。

(中略)

これは、戦いに勝つために戦ってはいけない、行動は結果を考えずになされるべきだ、という意味ではありません。それでは欺瞞(ぎまん)になってしまいます。

人が行動しようという気になるのは、その行動の成果を期待するからです。その結果に対する欲求があるからこそ、人は行動を起こし、その行動の過程を持続していくことができるのです。

もし行為者が注意とエネルギーのすべてを行動そのものに注ぎ込むならば、もし行為者の注意とエネルギーが結果を考えることに分散されなければ、その行動の成果はもっと大きいものになるでしょう。

こういったことを尊主は示そうとしているのです。結果は行動に見合ったものになり、これは疑う余地のないものです。

もし、学生が、試験に合格することばかり四六時中考えていたとすれば、勉強ははかどらず、結果までも危うくなってしまいます。行動している間は結果にかかわってはならない、と行為者が求められているのは、行動のより大きな成功を確実にしたいからです。

しかしこれは、行為者は結果に無関心であるべきだ、ということではありません。もし、意識的に結果を無視しようとすれば、行動の過程が弱くなるのは確実であり、ひいては、結果も弱いものになってしまいます。

この詩節から、人は自分の行動の成果に何の権利も持っていない、と考えるのは間違っています。ここには、行動から最大限の結果を引き出す方法が与えられているだけです。

行為者は、当然自分の行動の成果を楽しむ権利をもっています。

行動の成果を制御するのではないと尊主が言っているのは、成果は避けがたく行動に見合ったものとなるからです。

目標を定めて行動を開始したならば、その過程にすっかり専念すべきです。

行動の成果さえも忘れてしまうくらい完全に身を捧げ、注意を凝らし、行動を達成すべきなのです。このようにして始めて、自分のしたことから最大の結果を引き出すことができます。

引用ここまで-------------------------------------------------

まあ、簡単に言えば、ダイエットしようと思って行動を開始したら、その結果についてあれこれ考えずにやっていきましょう、ということだと思います。(^^)

ダイエットをしたいと思う時って、例えば「体が重くて動きにくくなった」とか「異性にモテたい」とか「健康が大事」という理由もあるので、ダイエット自体が目的や結果ではないという一面もありますが、もっと小さな単位で、例えば「今日は食事を減らす」というような1日単位とか1回単位での「行動と結果」にも当てはまる話が今回の内容です。

また、ダイエットをしようと思ったら、本を読んだりアドバイザーを選んだりしますね。それぞれに行動と結果があります。たくさんの本の中から1冊を選ぶか、本屋で最初に見つけた本を実践するかでも結果が変わってきます。

そして実際にダイエットの方法を実践するときには、そのやり方を疑ったり、焦ったり、手を抜いたりすると結果もそれなりになってしまいますので、行動に専念した方がいいというのはみなさんも経験からご存知だと思います。

あと、実践途中であってもうまく行っているかどうかの判断も大事で、場合によっては行動の修正も必要ですね。

これはよく「PDCAを回せ」と言われることですが、計画を立てて実行し、常にその評価をしながら、場合によっては改善することです。

その場合でも、目指すゴールが決まっているからこそできるもので、ゴールについて考えるのではなく、行動について考えていることになります。

「超越瞑想と悟り」の本は、「なぜ超越瞑想を行うのが良いのか?」という解説と、「超越瞑想を行った場合のゴール」について書かれた本です。

超越瞑想のやり方自体は書かれていません。この本だけを読んでも面白いのですが、知識を行動に移すためには、超越瞑想を行うことがオススメです。(^^)

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