久しぶりに「超越瞑想と悟り」(読売新聞社発行:マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著)からの抜粋です。
「ヨーガ」あるいは「ヨガ」は最近はブームになっていて、色々なところで見かけます。大抵は、ポーズを取るハタ・ヨーガと呼ばれるものです。
「ヨーガ」という言葉そのものは、「合一」の状態そのものを意味すると言われています。しかし、知識として知っていても実生活には役に立ちません。私たちは「ヨーガ」の状態で生きることで最高の人生、喜びの人生となります。
今日はマハリシによるバガヴァッド・ギーターの解説です。バガヴァッド・ギーターは世界中で読まれているインド発祥のマハーバーラタという叙事詩の中の一部です。
色々な人が解説をしていますが、どこかで矛盾していたり解説者も意味がわかっていなかったりということがありますが、マハリシは「存在」という「絶対的なもの」を中心に解説することで、みごとにすべてが容易に理解できるレベルになっています。
ただ単に表面的な言葉の解釈をしても難しいために、なかなか良い解説本がありませんでした。
以下引用(英語の部分は原文を引用)-----------------------------
第5章 詩節7
Intent on Yoga, pure of spirit, he who has fully mastered himself and has conquered the senses, whose self has become the Self of all beings, he is not involved even while he acts.
ヨーガに専念し、精神が純粋で、自己を完全に支配し、五感を征服した人、自己が万物の「真我」となった人、そのような人は、行動の最中にあっても、それに巻き込まれることはない。
引用ここまで--------------------------------------------------------------
私のブログをいきなり読んだ人は、「いきなり何が始まったんだ?」と思われるかもしれませんが、たまにこういう話になります。
ここの部分、パッと見はとっつきにくいかもしれません。
「行動の最中(さいちゅう:もなかではなくて)にあっても、それに巻き込まれることはない。」
ということですが、「考えること」も行動に含まれます。考え、行動し、誰かと話をし、パソコンをやったりスポーツをやったり、そんなときでもその行為にすべてを奪われることのない状態、どこか頭の中がクリアになっているような感じ、「うまくできる」という確信が続くような感じ、そういう状態の人は何かというと、「ヨーガに専念し・・・」となるわけです。
この章の説明は長いのですが、途中を省略しながら引用してみます。
引用ここから-----------------------------------------------------------------
「ヨーガに専念」する人とは、目覚めているときも、夢を見ているときも、深い眠りにあるときも、決して「真我」を失わない人のことです。このような人は自分自身に確立されており、相対世界のどんな経験もその絶対「存在」の地位を覆い隠すことはできません。
「精神が純粋で」。その永遠の純粋性において変わることのない「存在」の状態、すなわち絶対的な意識に達して、その状態を心の本性に確立した人ということです。行動は、このような「真我」の本質を覆い隠すベールのようなものです。瞑想は、飛び込みの過程のようであり、活動の精妙なレベルをすべて通過していきます。心は、最も精妙なレベルを超越すると、純粋な「存在」の状態を得ます。
(中略)
「自己を完全に支配し」。自己という言葉には二つの意味があります。低次の自己と高次の自己(「真我」)です。
(中略)
このように、「真我」を支配している人は、相対世界の全領域を楽しみながら、神聖な意識の中で絶対「存在」の生命を生きるのです。
(中略)
真の征服とは、敵が敵でなくなることです。敵は、好きなように行動する自由を与えられるのですが、もはや攻撃したり、害を及ぼしたりするような立場にはありません。「真我」の征服を通して五感の征服が完全に達成されると、五感は好きなように機能する自由を与えられ、相対領域をさまざまに経験するのですが、それにもかかわらず、生命は神聖な意識における永遠の自由の中にしっかりと確立されています。
引用ここから-----------------------------------------------------------------
ちょっと省略しすぎているかもしれませんが、続く詩節8以降でさらに詳しく解説されています。
瞑想をすると、心が静かになります。そして、やがて五感を離れて相対界を超越し、絶対である「存在」に触れることができます。
そのため、マハリシが教えている瞑想は「超越瞑想」と呼ばれています。全世界で500万人以上が学びました。今も色々な国で広がっています。近年は特に学校全体での導入も進んでいます。
バガヴァッド・ギーターは、「瞑想を行うとどうなるのか」というゴールについて書かれています。ですから、これだけを読んでもそこに行くことはできません。
「瞑想」を行えば知識が無くてもゴールに到達できますが、知識があると楽に早く到達することができます。
1日2回、朝夕20分の瞑想をしていれば、後の時間はチャラチャラしててもいい、っていう感じでしょうか。
どちらかというと、深刻にあれこれ考えないで、毎日を楽しむためのテクニックという気もしています。(^^)